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「本当の自分」って?
SNS時代、自分のアイデンティティとの向き合い方

「本当の自分とは何か」
SNSの利用が当たり前となり、複数のアカウントを使い分ける人も珍しくありません。多様な「自分」がSNS上に存在する時代、人々はどう自らのアイデンティティと向き合うべきなのでしょうか。今回、文筆家の塩谷舞さんと、この問いについて考えてみました。

文筆家
塩谷 舞

文筆家。1988年大阪 千里生まれ。京都市立芸術大学美術学部総合芸術学科卒業。2009年、大学時代にアートマガジン『SHAKE ART!』を創刊。2012年にCINRA入社、Webディレクター・PRを経て、2015年に独立。2017年、オピニオンメディア『milieu』を立ち上げ、執筆活動を本格化。2018年に渡米し、ニューヨークでの生活を経て2021年に帰国。note定期購読マガジン『視点』にてエッセイを更新中。著書に『ここじゃない世界に行きたかった』(文藝春秋)

q&d編集部インターン生
本田 あやな

神奈川県出身。東京大学文学部在籍中。大学ではフランス語フランス文学研究室に所属し、哲学や文学、教育など人文学を中心に学んでいる。帰国子女で、特技は英語。趣味は野球観戦と漫画・アニメ鑑賞。よく寝てよく食べる。

目次

SNS時代、自分のアイデンティティとどう向き合う?

私はよくしゃべります。

 

それは日常会話だけでなく、SNSでも同じです。その日の出来事で面白かったことや嫌だったこと、ふと頭の中に思い浮かんだこと、時事問題に対する意見など。日常の様々なことを自由に表現するプラットフォームとして、私は特にTwitterを活用しています。

 

最初は一つだったアカウントも、大学生になって所属するコミュニティが増えてから、複数を使い分けるようになりました。それぞれのアカウントであらわにする自分の姿や考え、言葉づかいは一つひとつ異なります。私自身、どのアカウントも自分のつもりでしたが、あるとき友人から「猫をかぶっている」「本性を出していない」と言われたことがありました。

 

それ以来、「本当の自分とは何か」「自分らしさとは何か」と悩むことが増え、アカウントの数だけ自分がいるような感覚を覚えることもありました。SNSを多くの人が利用する中で、私と同じようにアイデンティティについて悩み、どう向き合えばいいか分からない人は多いのではないか。今回そんな問いを持って、文筆家の塩谷舞さんに会いに行きました。

 

塩谷さんは様々なプラットフォームで、執筆活動や情報発信をおこなってきました。オススメする商品やサービスの紹介などインフルエンサーとしての活動が中心だった時期もあれば、近年は環境問題や社会問題など自身が関心を持つテーマについて発信をおこなわれている塩谷さん。私は時間や場所と共に発信の内容が変化しつつも、どこか一貫した塩谷さんを感じていました。移り変わりゆく自分の多様なアイデンティティとどう向き合い、発信を続けてきたのかを伺いました。

SNSでの発信がつくり上げた「自分像」との乖離

本田 采那(以下、本田)

今日はよろしくお願いします。私はSNSで複数のアカウントを利用する中で、「自分らしさとは何か」と悩むことが増えてきました。塩谷さんは、SNS上で自己表現をする中で、そのような経験をされたことがあるのか最初に伺いたいです。

塩谷 舞さん(以下、塩谷)

そうですね。私も、SNSでの自分が現実の自分とかけ離れてしまう、というもどかしさを感じたことがあります。昔は友人とのコミュニケーション程度に使っていたSNSでしたが、次第にフォロワーが増えて、なおかつ情報発信の仕事をしていると、多方面に配慮して発信する必要が出てきました。

 

だから、つど「この発言で傷つく人はいないだろうか?」と考えて。その枠をできる限り飛び越えないようにしていると、どんどん自分の本音が見えなくなっていきました。

本田

私からは塩谷さんがずっと華やかに見えていたのですが、そんな時期もあったんですね。SNSでの発信が、ご自身のアイデンティティに影響することはありましたか?

塩谷

ありますね。やっぱりSNSは人に見られることが大前提の場なので、現実の自分とは乖離してしまう。私の場合はさらにそれが商売になってしまったから、読了感が良くなるように、過剰にポジティブに演出して書いてしまっていたこともありました。

 

本当は心の底から疲れ果てているのに、「苦労しているけれど、それも人生経験だと思うし、楽しみます」といった具合にポジティブに書いてしまう。それを続けているうちに、次第に自分の本当の声がわからなくなってしまうし、友人や家族ですら「へぇ、元気にしてるんだ」というふうに受け取ってしまう。だから、最近は意識的に第三者に見られることのない日記を書いたり、オフラインの場で友人と本音で喋るようにしています。SNSが好きな人こそ、そうした時間が必要なのだろうな、と思います。

本田

ご友人やご家族でさえも、塩谷さんがSNSで発信している内容から受ける印象が強くなりすぎていた時期があったんですね。

塩谷

そうですね。あと、発言に責任が伴うからとSNS上で真面目な話しかしなくなった結果、「なんだか変わっちゃったな」と距離を置いてしまった友人もいるらしく。だから、今度はあえてゆるい話をしてみたら、真面目な話を期待した読者にがっかりされたり……(笑)。

 

でも、徐々にSNSは「自分の全てを表現する場ではない」と、思えるようになっていきました。一つひとつの反応を気にしすぎていたら、きりがない。SNSで自らの全てを理解してもらうのは難しいという、諦めのような感情が最近は生じていますね。

表層は揺らぎながらも、自分の核を変えずに

本田

アイデンティティが揺らいだとき、私自身はアカウントを別につくることで、乗り切っていました。一方で、そうすると、アカウントの数だけ自分を表現する面が増え、「本当の自分とは何か」と戸惑うことも出てきたような気がします。

 

塩谷さんはこれまで発信するプラットフォームやトピックを何度か変えてきたように思いますが、一貫して「塩谷舞」という本名で情報発信を続けてこられました。変化し続ける複雑な内面をどのように扱ってきたのでしょうか?

塩谷

そこはあんまり意識したことがなかったです。私の場合、小学校のころに日々の生活がちょっと息苦しかったから、インターネット上に本音を書いていた、という体験の延長線上に今があるんですよね。子どもの頃からのライフワークになってしまっているので、意識的に「性格を演じ分ける」みたいに器用なことができないんですよね。

本田

どんなときも、インターネットで本音を書くということを大切にされてきたんですね。

塩谷

……と言うと聞こえは良いですが、半分は中毒みたいなものですけどね。ただ、数年前に、“バズライター”だなんて呼ばれていた頃は「ほんまにこの商品やサービスが良いから、みんなに教えたい!」という心の底からの思いで、商品やビジネスの情報をSNSでシェアしていました。けれども、そこから、環境問題や人権問題のことを学ぶにつれて、「消費を促す以外にも発信すべきことはあるんじゃないか?」と疑問を抱いて、徐々にSNS上での振る舞いも変わってきた。どちらも自分の本音なのですが、毎年少しずつ思考が変わっていくので、昔の記事と最近の記事を一気に読んだ方からすると「性格を使い分けているのか?」と疑問を抱かれることもあるようです(笑)。

本田

私はアカウントごとに自分の違う面を見せていて、「全て自分」という考えではなかったので、なんだか興味深いです。

塩谷

そ、それはすごいですね。私の場合は自分の昔のブログを読むと「え、これ誰の記事?」ってビックリするほど、今と主義主張が違っていたりするんですけどね。5~6年前はバズろう、期待に応えよう、と心の全てを注いでいたので、今見るとなんだか涙ぐましい……。

等身大の自分を大切にするためにできること

本田

「バズる」ことを止めようと思ったのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

塩谷

少し前までアメリカに住んでいたのですが、そのときに経験したことの影響が大きいと思います。その頃は今よりもお金があったので、ちょっと背伸びして高級コンドミニアムに住んでいました。近所にはおしゃれなお店がたくさんあるし、コンドミニアムの中にはジムやプールがあって、夜景も綺麗。ビジネスで成功したような人が集まっている場所でした。

 

最初は、いろんなことが珍しくて、楽しいときもありましたが、いかんせんお金がどんどん出ていく。少し電車に乗れば貧困街がある一方で、豊かな人はより豊かな生活のためにお金を増やすことに一生懸命。そうした資本主義の極端な面を目の当たりにしながら、「裕福であることと幸福であることは比例しないのでは?」と思い始めて、商業圏で消費を促進させる仕事に対して消極的になっていきました。

本田

思い描いていた理想との乖離のようなものがあったんですね。

塩谷

そうかもしれません。昔から頭の中に描いていた「贅沢」のイメージが崩れさった体験は、私の中で大きかった気がします。それからトランプ対バイデンの大統領選があり、バズりやすい極論で情熱的な支持を集める政局にも違和感を覚えました。

 

極論や、ドラマティックなストーリー展開で読者を引きつけるのではなく、「もっとふつうの、良いも悪いも綯い交ぜにした等身大の話をできないか?」と、徐々に発信内容や文章が平坦なものに変わっていきましたね。

本田

等身大の自分を大切にしていくために、塩谷さんはどんなことに取り組んだのですか?

塩谷

周囲にどう思われるかというのを抜きにして、まずは自分が良い文章を書けているか? という状態を大切にするようになりました。大勢に反応をもらえる文章よりも、まずは自分が書いていて心地よい文章、筆が進む文章を大切にしたいな、と。他人の評価や数字ばかりを気にしていると、すぐに自分の心が引っ張られてしまいますしね。

本田

全てを自分軸で判断しようとしたとき、いろんな考え方を持つ自分が心の中にいる場合はどうすればいいでしょうか。例えば、私も含めてオンとオフの自分を裏アカウントを使ってハッキリと分けている人がいますが、塩谷さんはその点どう思われますか?

塩谷

それはむしろ、誰にとっても自然な姿なんじゃないでしょうか。職場で見せる顔と、恋人に対して見せる顔が同じ、という人はあまりいないと思いますし。でも、あんまり「職場ではこうしなきゃいけない」「恋人の前ではこういなきゃいけない」という理想を追い求めすぎると、現実との乖離によって心が壊れてしまうかもしれない。

 

オンであれ、オフであれ、理想通りにはできないってことを大前提として、ときどきオンにオフを混ぜたりするのも良いかもしれないですね。SNSで誰しもが「魅せる」行為をしている時代ですから、「理想的な自分でないと許せない」と、自己暗示をかけて苦しくなっている人も多そうです。

価値観の違う人を理解することも大切

本田

無意識のうちに自分に暗示をかけてしまう状態に陥らないために、一人ひとりができることや変えられることはあるんでしょうか。

塩谷

SNSで何かをみるときは、それが物事の一側面に過ぎない、ということを常に心に置いておくことですかね。自分で言うのもなんですが、私のInstagramやYouTubeだって、かなり綺麗に演出した日常の断片で、リアルそのものではありません。今日だって取材に来てくれるから部屋を片付けたけど、いつもはもうちょっと散らかってる(笑)。

 

あと、ガス抜きをする場があることが必要ではないでしょうか。私は20代の頃、友達にも「恥ずかしいから本音を言わないでおこう」とか「悪口は生産性がないから、価値のあることだけを語りたい」みたいに思っていたんですよね。でも、今は本音や悪口を恐れずに出せる場所が本当に大切だな、と感じています。理想的じゃない姿を許容しあえる仲間は大切です。

本田

ここまでの話を伺って、これまで「SNSは自分の複数のアイデンティティが共存できる場」だと思っていましたが、受け手や所属するコミュニティに合わせた発信をしようとするあまり、結果的に自分の中にある多様性を見失っているような気もしてきました。

塩谷

SNSは生きづらさや自分と意見が合わない人からの一つの逃げ場になると思うのですが、どうしても価値観の近い人としかつながらなくなりがちです。アイデンティティと向き合ううえでは、価値観が違う人を理解しようとする過程も大切かもしれません。

 

お店や近所で出会った方と話すと、SNSだったら絶対に出会わないような、価値観の違う人と遭遇することがあります。SNSだったらコミュニケーションを一切しないか、もしくは意見が違ってミュートしていたかもしれない相手でも、リアルだったら見た目や話し方などいろんなものを総合して、「へぇ、こういう人もいてはるんや」と相手のことを好きになることもある。でもここ数年は、疫病で他人との距離が遠くなり、SNSで気の合う人ばかりと交流してしまっていたから、他者への許容値がどんどん狭くなっていますよね。

 

自分で取捨選択したタイムラインばかり眺めていると、現実社会で自分と違う価値観と出合ったとき、「そんな考え、私の周りには一人もいない!」と相手の存在ごと否定してしまうこともあるかもしれない。でも実際、社会の多くはわかり合えない人たちで構成されている。自分のタイムラインや、コミュニティ外にいる人とゆるく接点を持つことは、これからを生きる上で大切なことなんだろうな、とも思います。

本田

私は中高一貫の女子校に通っていて、大学に入ってからいろんな人との関係性が新たにつくられていく中で、「自分にとっての正しさが、相手にとって嫌なこともある」と強く実感したのを思い出しました。

 

価値観が違う人と出会ったときに防衛反応が出るのは必ずしも悪いことではないと思うのですが、SNSだとミュートやブロックによってその人たちを見えなくしてしまう。そうすることによって、自身のアイデンティティと向き合う機会をなくしているかもしれないという話に、すごく共感しました。今日はありがとうございました!

日々の生活で偶然聞こえてくる声も大切にしていきたい

SNSには、普段の生活では出会えない人と偶然つながる可能性があります。だからこそ、日々新しい発見があるし、学びも得られます。それは、自分のつづる言葉、発信する「自分像」が不特定多数の人の目に入ることも意味します。

 

一方で、いつの間にか似たような考え方を持っている人たちとばかり接してしまう危うさもある。塩谷さんの話を聞いて、SNSはそういう偶然性と偏りが生まれてしまうことの両方を含んでいると、あらためて認識しました。

 

私のように「もう一人の自分」として今の自分とは切り離して多面性を保つか、塩谷さんのように「全てを自分」としてアップデートを続けるかは人によるでしょう。けれど、アイデンティティがそのように大きく変わりうるものだということは皆が同じです。

 

だからこそ、SNSだけでなく、近所に住む人や電車で隣に座った人、同じ授業を受けているけれど話したことがない学生たちなど偶然聞こえてくる声も大事にすることで、変化していく自分の多面性と前向きに向き合っていきたいと、今回の対話を通して思いました。

メンターの編集後記(q&d編集部・橘匠実)

「アカウントの数だけ、一人の中に人格があるのではないでしょうか?」

 

自分らしさについて考える中、ふと本田さんが言いました。生身の自分は一人でも、その中に存在する多様な個性を表現する場がSNSだとしたら、自分らしさは無数に存在する。これが彼女の主張でした。私はそんなふうにSNSをとらえたことがなかったので、ユニークな視点だと思い、「その調子で企画を進めてみて」とアドバイスしたのを覚えています。

 

そうして臨んだ塩谷さんへのインタビュー。SNSのコミュニティごとに異なる自分の個性を発信できることを若者の「自分らしさ」だととらえる本田さんに対し、取材に応じてくれた塩谷さんは「自分が変わると共に、SNSで言いたいことも変わる。アカウントもまた年を取って、自分と共に変わっていくけれど全てが自分なんだ」と話します。自らの性格とSNSでの人格が同じように年を取り、変化する様子を語ってくれたのが印象的でした。

 

自分らしさとは何か。時間が経って変わった今の自分は、昔の自分とは別人なのか。私にとってもSNSを起点として、自分らしさについて振り返る機会にすることができました。

SNSの利用が当たり前となる中、私たちは移りゆく自分のアイデンティティと、どのように向き合っていけばいいでしょうか? 記事を読んで考えたこと、今日から取り組んでみようと思うことがあったら、ぜひ「#わたしとあなたの境界線」をつけて教えてくださいね。

『q&d』編集部が問いと対話をより深めていくq&dラヂオでは、文筆家の塩谷舞さんを訪ねたときのことを振り返りながら、SNS時代に、移り変わりゆく自分の多様なアイデンティティとどう向き合うべきかについて、改めて考えました。

Photo by 加藤 甫

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