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仕事とくらしにウェルビーイングを取り戻すために。
非合理的な私たちと、補助輪的テクノロジーの未来

Work Life Integration
q&d編集部

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仕事とくらしにウェルビーイングを取り戻すために。
非合理的な私たちと、補助輪的テクノロジーの未来

テクノロジーの進歩によって、私たちの仕事やくらしは、どんどん便利になっています。けれど、その便利さと比例して、豊かさは向上しているでしょうか ? テクノロジーのあるべき姿や人とプロダクトの関係性に「ポストワークライフバランス」を考えるヒントがあると考えたq&d編集部が、ドミニク・チェンさんと渡邉康太郎さんにお話を伺いました。

早稲田大学文学学術院教授
ドミニク・チェン

1981年生まれ、フランス国籍。博士(学際情報学)、早稲田大学文学学術院教授。テクノロジーと人間および自然存在の関係性、デジタル・ウェルビーイングを研究している。著書に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮社)など。

撮影:荻原楽太郎

コンテクストデザイナー / 慶應義塾大学SFC特別招聘教授
渡邉 康太郎

東京・ロンドン・NY・上海を拠点にするデザイン・イノベーション・ファームTakramにて、使い手が作り手に、消費者が表現者に変化することを促す「コンテクストデザイン」を掲げる。組織のミッション・ビジョン策定からサービス立案、アートプロジェクトまで幅広く牽引。近著『コンテクストデザイン』は青山ブックセンター2020年総合ランキング2位を記録。趣味は茶道、茶名は仙康宗達。

パナソニック株式会社執行役員 グループCTO
小川 立夫

1964年兵庫県生まれ。1989年大阪大学理学部卒業後、松下電器産業株式会社(現パナソニック㈱)に入社。電子部品研究所、本社研究所にて、デバイス・材料の開発に従事。米国ジョージア工科大学に研究員として留学し、先端実装技術開発を経験。デバイス事業分野の企画・研究開発部門長、技術戦略スタッフ部門長、生産技術本部長等を経て、2018年執行役員 生産革新担当に就任。2019年オートモーティブ社副社長 製造担当・車載システムズ事業部長、2021年よりパナソニックグループのCTOに就任。

パナソニック ホールディングス株式会社 マニュファクチャリングイノベーション本部 ロボティクス推進室 室長
安藤 健

ヒトとモノ、技術と社会のより良い関係に興味を持ち、一貫して人共存ロボットの先端研究開発、新規事業開発に従事。 テクノロジーによるWell-beingの実現を目指すAug Labのリーダも務める。社外では日本機械学会ロボメカ部門技術委員長や省庁各種委員なども歴任。経済産業大臣表彰、文部科学大臣表彰など国内外で受賞歴有。博士(工学)。

目次

失われたウェルビーイングを「もう一度取り戻す」

遠く離れた仲間とともに働く、サブスクリプションを活用して自宅にいながら充実したコンテンツを楽しむ、必要なモノを、所有ではなく共有する——私たちの仕事やくらしは、さまざまなテクノロジーの恩恵を受けています。

 

けれど、仕事やくらしの利便性が向上していく一方で、私たちは、もっと本質的な何かを見失ってはいないでしょうか。もしそうなのだとしたら、コロナ禍の下、くらしや仕事がテクノロジーによってさらに大きく変化しようとしている今、より豊かに生きていくためには、あらためてテクノロジーとの関係性を見直す時期に差しかかっているのかもしれません。

 

パナソニックが抱えるその大きな問いと向き合ってくれたのが、早稲田大学文化構想学部教授のドミニク・チェンさんと、コンテクストデザイナーの渡邉康太郎さん。今回、パナソニックからはCTOの小川立夫と、ロボティクス推進室 室長の安藤健を交え、座談会を行いました。

アイスブレイクならぬ“アイスメルティング”を兼ねて、茶室でお茶を味わいながら、対話が和やかにスタート。
小川 立夫(以下、小川)

これまでパナソニックは、ロボティクス技術などの先端テクノロジーの活用で、人やくらしがより豊かになるウェルビーイングな社会の実現を目指す活動「Aug Lab」を展開してきました。ドミニクさんは「デジタル・ウェルビーイング」の文脈でさまざまな研究をされていますが、現在の人とテクノロジーの関係性について、どのように考えていますか?

ドミニク・チェンさん(以下、ドミニク)

いくつかの課題があると感じています。なかでも注視してきたのは、アテンション・エコノミーの肥大化です。メーカーにしてもプラットフォーマーにしても、あらゆる企業が、人々のアテンション(注意)をいかに集めるかに躍起になっていますよね。それどころか、SNS上ではユーザー同士でさえ、互いのアテンションを奪い合っています。

 

こうしたコミュニケーションのあり方は、どう考えてもサステナブルではありません。人の注意力は有限だからです。私たちはコンピューターのように24時間ぶっ通しで情報を処理し続けることはできない。そのシンプルな事実から目をそらして、まるで人間には無限の注意力があるかのように、ひたすら欲望を煽り続ける企業は、いまだに少なくありません。

安藤 健(以下、安藤)

アテンション・エコノミーの肥大化は、どのような弊害をもたらすでしょう?

ドミニク

コミュニケーションの射程がどんどん短くなっていき、瞬時に多くの人がクリックしたくなる刺激的な情報ばかりが洪水のように押し寄せてくる。そうなると私たちは、自分を取り巻く世界の全体像をうまく捉えられなくなってしまうでしょう。世界中でメンタルヘルスの不調を訴える人が増加していることも、こうした状況と無関係ではないはずです。

 

だとするなら、デジタル・ウェルビーイングは「これから実現するもの」ではなく、「もう一度取り戻すもの」だということになりますよね。私はこの認識が重要だと思っています。

渡邉 康太郎さん(以下、渡邉)

ドミニクさんのお話を私なりに受け取ると、「今、テクノロジーのあり方が大きな岐路を迎えている」とも言えるように思います。従来テクノロジーに求められていたのは、課題を解決するとか、効率を上げるとかいったことでしたよね。僕たちはテクノロジーの進歩によって、「もっと有意義なことに時間を使える」はずだ。そういうロジックがありました。

 

ただ、捻出された時間を僕たちが本当に有意義に過ごせているかというと、必ずしもそうではない。余った時間を、他者から与えられた、紋切り型の欲望を消費するために使っているだけ……。下手をしたら、コンテンツを消費することで、個人の趣味趣向に関するデータを企業にただ提供し続け、結果的にアテンション・エコノミーに加担しているだけ、という可能性もありますよね。

 

そう考えると、これからのテクノロジーに求められるのは、僕たちが「自分らしくいられる時間」をなるべく長く確保できるよう、アシストすることなのではないでしょうか。

安藤

「自分らしくいられる時間」とは、例えばどのような時間でしょうか?

渡邉

もちろん人によりますが、わかりやすいのは料理をする時間でしょうか。アプリから注文して、どこまで配送者が来ているかをリアルタイムで教えてくれるフードデリバリーサービスは確かに便利ですが、それとは別の体験もある。自分で料理をするならば、買い物をしながら一緒にご飯を食べる家族の姿を想像したり、旬の食材から四季を感じる瞬間があったりする。すると、料理にまつわる時間全体が愛おしくなります。

 

こういうとき、僕たちは料理を「手段」ではなく「目的」として捉えているんだと思うんです。お腹を満たすために食べるという手段の側面も残るけど、いつの間にか料理そのものが楽しいことに、時間を使う目的になっている。勉強もそうですよね。勉強は知識を得るための「手段」だとも言えますが、自分の血肉になるような学びが得られるのって、勉強するということ自体を目的として楽しめたときじゃないでしょうか。

 

もちろん、料理をするために料理をすることも、勉強するために勉強をすることも、非効率的だと言われればその通りです。けれど、そういった非効率な時間、自己目的化した時間を持つことこそが自分らしくいることだし、ひいてはウェルビーイングな生き方につながっていくと思うんです。

小川

なるほど。つまりこれからのテクノロジーには、効率性だけではなく、ある種の非効率性を支えることが求められていくのですね。

非合理的なノイズこそが、Weの働き方をつくる

茶室から場所を移して、座談会はさらに続いていきます。ここからは、ポストワークライフバランス時代の働き方にフォーカス。「はか」という言葉をヒントに、仕事における「効率」とは何なのかを問い直していきます。
渡邉

日本には古くから、「仕事の進み具合」を意味する「はか(捗/果/計/量)」という言葉がありました。今でも、望み通り順調に進むことを「捗々(はかばか)しい」「捗(はかど)る」と言いますよね。もともと「はか」は、田畑から作物を穫るときの進み具合を表すことばでした。では、日本人が「捗る」ことを常に美徳としてきたのかと言えば、決してそんなことはありません。日本語には「はか(果)」がないという言葉もある。これが転じて、「儚い」という仏教の無常観とも結びついて、日本人が好む美意識、価値観のひとつになっています。

 

日本では「捗る=順調」も「儚い=不確実」も、つまり「はか」はあってもなくても、それぞれ良いと認められているんです。これって、すごくおもしろいと思いませんか? 順調であることにも、不確実であることにも、それぞれに価値を見いだす日本的な感性がテクノロジーと出合ったときに何が起きるのか。個人的には、そこに大きな関心があります。

ドミニク

それで言うと、コロナ禍で浸透したリモートワークは「捗る」の領域を拡張する口実になっている節があります。やろうと思えば、会議も連絡も無限にできてしまう。それどころか、会議ひとつとっても、オンライン化によってどんどん効率化が進んでいます。

 

コロナ禍以前のオフラインの会議には、もっと無駄がありました。ダラダラと長い会議を行うことは、日本的な非効率で不確実さの象徴のように扱われてきましたが、実は時間と空間を共有することが、組織を支えてきた部分もあると思うんです。

 

会議だけに限りません。人と人とが同じ空間にいると、そこにある種のノイズが生まれます。そのノイズこそが、豊かな人間関係をつくっていたことに、今、多くの人が気づきつつあるのではないでしょうか。そういう意味では、これからのコミニケーションツールには、いかに意図的にノイズを紛れ込ませられるかが求められるのかもしれません。

渡邉

今のお話はよくわかります。オフィスで働いていると、自分は集中しているのに、横で誰かが雑談していたりするじゃないですか。それはまさにノイズそのものだし、「うるさいな」と思うこともあるのですが、それをすべて取り除いてしまって本当にいいのか。リモートワークの環境下で、僕たちは言語とロジックとアウトプットに過剰に依存しているように思います。そこでは、非効率・不確実なものや「感情」がないがしろにされてしまっています。

小川

その感覚は私にもあります。オフィスで働いていた頃は、非言語的なコミュニケーションを通して、同僚の人となりや仕事の進め方を知ることができました。「この人は今集中しているんだな」とか「ちょっと落ち込んでいるのかも」みたいな気配を感じ取ることができたし、それがチームづくりの役にも立っていました。リモートはそこが難しいなと感じています。

ドミニク

今、小川さんが「気配」とおっしゃられたように、チームとして働く上で「他者の物理的な存在」を感じることって、すごく大切なことだと思うんです。

 

認知科学などの領域では、他者の気配のことを「社会的存在感=ソーシャルプレゼンス」と呼び、テレコミュニケーションやVRなどの工学領域でも研究されています。リモートでも、相手の存在が確かに感じられているかどうかがコミュニケーションの成否を握る一要素となっているわけです。

 

それに関連して、今「we-mode」という概念が注目を集めています。簡単に言うと、人と人との相互作用によって、個人(i)から抜け出して、私たち(we)の視点を獲得できる、といった意味を差します。このweの視点こそが、創造的なチームをつくる上ですごく重要だと考えています。どうしたら、we-modeに切り替えられるのかと言えば、一番手っ取り早いのは、他者の身体を物理的に感じること、社会的存在感を生み出すことです。

小川

リモートワークでwe-modeを実現することは難しいのでしょうか?

ドミニク

現時点ではなかなか難しいかもしれません。でも、不可能ではない。物理的な身体が近くになくても、テクノロジーによって他者の存在を感じられるようになれば、きっとリモートでもwe-modeを実現できるはずです。そこは、テクノロジーの発展に期待する部分ですね。

安藤

実はロボティクス推進室でも、コミュニケーションのインタフェースにロボットを用いることで、遠距離でのコミュニケーションに「実在感」を伴わせることができないか、研究を進めています。これまでは主に家族でのコミュニケーションを想定していたのですが、今のお話を伺って、リモートワークにも応用できるのではないかと思えてきました。

ドミニク

リモートワークでもwe-modeに切り替えられるようになると、一人ひとりの働きやすさはグッと上がるはずです。なぜなら、we-modeでは意志決定の責任が、一人に片寄らないから。何を決めるにしても、自然と私たち(we)で責任を分散できる。意志決定に伴う負担を軽減するという意味では、非常に大きな効果があるはずだと思っています。

小川

そこはすごく大事なポイントですね。チームで働くことの意味が、大きく変わる気がします。リモート環境での「働きにくさ」を解消する、ひとつの契機になるかもしれませんね。

いつか「卒業」できる、補助輪のようなテクノロジーを

2時間に及んだ座談会もいよいよ終盤に。最後に、これまでの議論を踏まえて、人とプロダクトの関係性はどのように変わっていくべきなのか、を考えていきました。
小川

今、プロダクトを手がける上で私がもっとも気がかりなのは、「テクノロジーは、人を本当にスマートにしているのか?」ということです。もしかすると、テクノロジーは人が持つ能力を眠らせてしまっているのではないか。ぜひ、お二人の意見をお伺いしたいです。

渡邉

とても大事な視点だと思います。僕は人の能力を低く見積もらないという意味で、「人を”馬鹿にしない”テクノロジー」が好きなんです。それは「人を馬鹿にしてしまわないテクノロジー」でもあって、「人の創造力を引き出してくれるテクノロジー」とも言い換えられます。

 

そういったテクノロジーの例として一番わかりやすいのは「補助輪」ですね。補助輪は「自転車に乗る」という僕たちの能力を引き出してくれる。人は、一度こぎ出してその喜びを知れば、もっと遠くまで行ってみたいと思うものです。しかも、補助輪が素晴らしいのは、それ自体を手放すところまでがひとつの体験としてデザインされている点です。

ドミニク

康太郎さんの「人を馬鹿にしてしまわない」というキーワードにすごく共感します。私は最近、人が成長するための補助輪として存在するものを「卒業できるテクノロジー」と呼んでいます。私自身が開発に携わった発酵ロボット「Nukabot(ヌカボット)」もそのひとつです。

 

Nukabotは微生物の代謝をセンサーで読み取り、適切なタイミングでの糠(ぬか)の攪拌(かくはん)を促すロボットなのですが、多くのユーザーは数年で「卒業」できるものだと考えています。最初はNukabotのアシストがあるおかげで糠床を腐らせずにケアできて、糠床への愛着を育てられる。しかし、そうして人間自身の習熟過程が進んでいけば、ある段階からはNukabotに頼らなくても、その人自身が五感で微生物と対話できるようになるんです。

Nukabot ver.4 (Ferment Media Research)photo by 守屋輝一
小川

ユーザーの成長を促すようなプロダクト、ということですね。

渡邉

「成長」というキーワードは重要なのですが、一方で注意深く使うべきだとも思います。というのも、「成長」という言葉は往々にして、一直線に能力が向上していく様子を連想させるからです。実際の成長は、ある種の自己否定がつきものです。自己否定は、ときに後戻りも伴います。私は茶道が趣味なのですが、茶道は「型」の習得とその否定というプロセスを繰り返すことで、次第に自身を高めていきます。

 

連想になりますが、僕は江戸時代の思想家である三浦梅園(みうらばいえん)という人物がすごく好きです。彼は「枯れ木に花咲くに驚くより、生木に花咲くに驚け」という言葉を残しているのですが、まさに「当たり前を問い直すこと」こそがクリエイティビティの極地だと思うんです。こういった境地に辿り着くには、やはり自己否定が欠かせないと感じています。

ドミニク

自分自身が身につけた「型」を手放すことなしには成長できない、ということですね。何かを失うことで、新しい思考、表現へと誘われていく。僕が学んでいる能の世界でも、「いくつになっても、それまでの蓄積を捨てる勇気を持て」という意味で「初心忘るべからず」と言われています。そのようなオープンエンドの開かれたプロセスに積極的に関わることも、これからのテクノロジーのあり方なのかもしれませんね。

渡邉

みなさんとお話しているうちに、これからのテクノロジーの役割は3つにまとめられるような気がしてきました。

 

先ほどの補助輪のアナロジーを用いるなら、まずは「こぎ出したくなること」。何かに挑戦したいという気持ちを、恐怖心に負けないようにいかに引き出せるかが、より重要になってくる。次に「こいでいる最中の楽しさを与えてくれること」。料理や勉強のように、やっているうちに楽しみがどんどん自己目的化してしまうような体験を、いかに手助けできるか。最後に「目的地を描き出すこと」。テクノロジーを通じて、どんな可能性が開かれていくのか。未来のイメージを想像させられたらベストだと思います。

小川

例えば、パナソニックは、お客様に電子レンジを購入していただいたときにレシピなどを同梱しているのですが、それもある意味では、補助輪のような関わり方ができていると言えるでしょうか?

渡邉

言えると思います。ただ、今はあくまでも電子レンジというプロダクトの販促物か、「おまけ」としてレシピを同梱していると思うんです。けれどこれからは、むしろユーザーを料理へと誘うレシピの方こそが、プロダクトの本質になっていくのかもしれません。

 

微妙な変化だと思うのですが、パナソニックが本当の意味でのライフスタイルカンパニーとなっていくためには、そういった重心のズラし方が非常に大切になってくる気がします。

小川

本日は示唆に富んだお話をありがとうございました。お二人のお話をヒントに、ウェルビーイングについてさらに考えを深めていければと思います。

「ポストワークライフバランス」特集では、さまざまな方向性から働き方とくらしの交差点について探求してきました。ぜひ、他の記事もご覧になってください。感想やメッセージは「#ポストワークライフバランス」をつけて、Twitterに投稿してもらえるとうれしいです。

『q&d』編集部が問いと対話をより深めていくq&dラヂオでは、ドミニク・チェンさんと渡邉康太郎さんとお話ししたときのことを振り返りながら、テクノロジーのあるべき姿や人とプロダクトの関係性から見える「ポストワークライフバランス」について、改めて考えました。

Photo by 加藤 甫 および提供写真

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