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「こだわり」も断捨離できる?
——断捨離の生みの親・やましたひでこさんと考える、
くらしの中の「いらないもの」を見極め、手放す方法

My Theory on Life

「こだわり」も断捨離できる?
——断捨離の生みの親・やましたひでこさんと考える、
くらしの中の「いらないもの」を見極め、手放す方法

食べるものや身に着けるもの、行動などにこだわりを持っている人は多いと思います。しかし何かにこだわりすぎるあまり、「こうしなければならない」と窮屈な思いをしたことがある人もいるのではないでしょうか。時にこだわりは執着に変わり、「生きづらさ」につながってしまうことも……。私たちはいかにしてくらしを豊かにする「こだわり」とそうではないものを見極めていけばいいのでしょう。断捨離の提唱者である、やましたひでこさんと考えます。

断捨離®️提唱者
やました ひでこ

1954年東京都生まれ。一般財団法人断捨離代表。早稲田大学第一文学部卒業。在学中に出合ったヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」をもとにした「断捨離」を日常の「片づけ」に落とし込み、実践可能な自己探訪メソッドを構築。2001年から断捨離塾を始める。

2009年の初の著書『新・片付け術「断捨離」』(マガジンハウス)をきっかけに、その実践的メソッドが国内外で幅広く支持される。近著は『おひとりさまの断捨離』(光文社)。断捨離関連の著作は、国内外累計700万部のミリオンセラー作家でもある。

q&d編集部
後藤 久美子

愛知県育ち。やや病弱な体にもかかわらず、幼少期からスポーツに明け暮れる日々を過ごし、スポーツ専門学校を卒業後スノーボードやサーフィンにのめり込み山や海で生活をしていた。入社当初は派遣社員として戸建て住宅市場の開発営業を担当。その後マンションやビルシステムなどの営業を経て、現在はライティング事業部でインテリア照明の提案に従事。ウェルビーイングに自分らしく生きる、旅するシングルマザー。

こだわりっていいもの? それとも、悪いもの?

私は幼少期から「こだわり」に対して、必ずしもポジティブなイメージを持っていませんでした。

 

やや病弱だった幼少期の私は両親のこだわり——「食事は無添加のものを選ぶべき」「西洋薬より漢方がいい」など——をありがたいと思う半面、面倒くさいとも感じていたのです。また、思春期に差し掛かっても、身に着けるものに対するこだわりもなく、「周囲が『いい』と言うものがいいものだ」と思い、雑誌に載っているものを身に着けアルバイト代のほとんどは洋服やブランドものに消えていました。

 

そんな私がこだわりを持つようになったのは、数年前にWell-beingという概念を知ったことがきっかけでした。私自身は自己肯定感が低かったわけではありませんが、娘にもありのままの自分にもっと自信を持ってほしくて、ハグなどのスキンシップを多く取り入れることにこだわるようになりました。 

 

毎朝出かける前、毎晩寝る前に必ず抱きしめて声を掛けています。そういったこだわりを日々の生活に取り入れたことで、思春期・反抗期まっただ中の娘とも(時には暴言を吐かれながらも)、とても良い関係性が保てていると思っています。

 

「こだわり」について考えるとき、かつて少しわずらわしく思った親のこだわりと、娘との絆をつくってくれた親としてのこだわり、その2つが頭によぎります。こだわりには「手放すべき執着」というネガティブな側面と、「日々のくらしを豊かにするもの」というポジティブな側面があると感じるようになりました。

 

では、私たちは手放すべき「ネガティブなこだわり」と、大切にすべき「ポジティブなこだわり」をいかにして見極め、前者を手放せばよいのでしょうか。この見極め方、手放し方を知ることに、毎日のくらしと人生を豊かにするヒントがあるのではないかと考えました。

 

こだわりの見極め方と手放し方についてお話を伺ったのは、断捨離の提唱者であるやましたひでこさんです。「不要なこだわりを捨てるための思考法」とも言える断捨離の提唱者であるやましたさんは、どのように「こだわり」と向き合っているのでしょうか。

取材で訪れたやましたさんのご自宅の一角

こだわり「すぎる」と、「囚われ」が生じる

後藤 久美子(以下、後藤)

誰しも何かしらの「こだわり」を持っていると思うのですが、その中には「ポジティブなこだわり」もあれば「ネガティブなこだわり」もあるのではないかと考えています。今日はその見極め方や手放し方などをお聞きしたいと思って来ました。

やました ひでこさん(以下、やました)

私はポジティブとネガティブの二項対立では考えていません。こだわりそのものにネガティブもポジティブもないと思っていますし、こだわりがないことも、こだわりがあることも問題ではないと思います。ただ、「過剰になること」が問題なんです。

後藤

「過剰」になること?

やました

はい。簡単に言えば、「○○すぎること」ですね。私が提唱している断捨離を「とにかくモノを捨てること」だと考えている方が多いのですが、「モノが多いこと」は問題だと捉えません。だから、決して「ミニマリストになろう」ということではないんですよ。問題視しているのは、「多すぎること」なんです。一方で、本当に必要なモノさえ手放して、モノが少なすぎる状態も不健全ですよね。

 

何事も「すぎる」と、「囚われ」になってしまうと私は考えています。モノが多すぎることも、少なすぎることも、何かに囚われていることの証なのです。つまり、それがどのようなものであれ「こだわり」は大事にすべきだと思いますが、こだわり「すぎる」とそれは「こだわり」ではなく、「囚われ」になってしまう。そして、ほとんどの人が自分が囚われていることを自覚できていません。

後藤

こだわり自体が問題なのではなく、こだわり「すぎる」があまり、それに「囚われてしまう」ことが問題だと。

やました

そうです。あるモノが自分にとって「本当に必要か」「どのような意味を持つか」は、時と場合によって、そして自らの変化によって変わっていきます。かつての自分にとっては絶対に必要だったけれど、いまの自分にとっては必要ないモノはたくさんあるはずです。

 

重要なのは、その「変化」を自分でキャッチすること。「いまの自分にとって必要なモノとは何か」といった問いかけを自分にせずにいると、変化に気づけず、いつの間にか過去のこだわりに囚われてしまいます。そして、その「囚われ」は家の様子に表れる、つまりはモノが多「すぎる」状態になってしまうんです。

後藤

囚われはモノに表れるということですか。

やました

はい。たとえば以前、ある方のお宅に断捨離のお手伝いに行ったとき、海外で買ったお砂糖を、賞味期限が切れているけれど残しておきたいと言うんです。なかなか買えないものだからと。

 

もちろん、海外に行くのは時間もお金もかかりますが、また買いに行けばいいだけじゃないですか。でも、その賞味期限が切れた砂糖が捨てられないということは、「なかなか買えない」という意識の中に自分を閉じ込めてしまっているわけです。言い換えれば、その意識に囚われてしまっている。

 

「いまの自分にとって、これは本当に必要なモノか」を問い続けなければなりません。そうして、自分にとって意味のないモノを手放していくと、次第に意識が「モノ」から「コト」に移っていきます。つまり、「必要なこと」が見えてくるということですね。そして「コト」から「人間関係」へ、最終的には自分の「価値観」を見直すことにつながります。

 

さまざまな「囚われ」に気づき、それを手放すためには、まず身の回りのモノに目を向けなければなりません。断捨離とは、「モノを捨てること」ではなく、自らの囚われに向き合うための手法なんです。

やましたさんの著作の一部

「囚われ」のヘドロ沼から抜け出すために

後藤

なるほど。断捨離とは、「囚われ」から抜け出すための第一歩になるわけですね。やましたさんは、これまでたくさんの方の断捨離をお手伝いされてきたと思います。何かに囚われている方の家は、やましたさんの目から見るとどのように見えているのでしょう。

やました

「ドブ池」状態とか「ヘドロ沼」状態と表現しています(笑)。

後藤

かなり強烈ですね……(笑)。

やました

「流れ」がないんですよね。「自分に必要なモノは何か」を問い、取捨選択をすることがないので、空間の流れが滞っている。水だって流れがなければ淀み、やがては腐ってしまいます。空間も同じです。何かに囚われ、それに気づいていないとだんだんと「ヘドロ沼」に沈んでいってしまい、いつの間にか脱出できない状態になっているわけですね。

後藤

空間がヘドロ沼になってしまう前の「淀み」の段階で自分で気づくポイントはあるのでしょうか。

やました

誰かの手を借りつつ、徐々に感覚を養っていく必要がありますね。断捨離では、まず一つの小さな空間に絞って、その空間にある余計なモノを取り除いていき、居心地のいい空間をつくります。そうすることによって、まずは「こんなにも淀んでいたのか」と気づいてもらうんです。そして、一つの部屋から家全体へと視点を導きます。すると、徐々に空間全体を俯瞰する感覚を取り戻し、淀んでいる部分にも気づきやすくなる。

 

大事なのは、自らの手を動かしながら、感覚を磨いていくことです。誰かに「この部屋はどこが淀んでいますか?」「自分は何に囚われていますか?」と聞いても、「淀み」に気づくための感覚は磨かれません。捨てるという「行為」が感覚を磨き、思考を前に進めるんです。

後藤

考えるよりも、まずは行動することが大事?

やました

はい。本当はまったく必要のないモノだとしても、「何かに使えるかな」と考えてしまった瞬間、私たちは「もしかしていつか使うかもしれない」「どこかで必要になる時があるかもしれない」「私じゃなくて誰かが使うかもしれない」と考えてしまいます。

 

「いつか」「どこか」「誰か」の必要性を無限に捏造してしまうわけですね。私はそうして家の中に残っているモノを「かもグッズ」と呼んでいます。

後藤

かもグッズ!……思い当たるモノがたくさんあります(笑)。

やました

もう一つ、たくさんあるのは「未練グッズ」ですね。「思い出があるから……」と捨てられないモノがこれにあたります。多くの人の家の中は「かもグッズ」と「未練グッズ」が8割を占めていると思います。私たちは「かも」と「未練」、言い換えればありもしない「未来」と、すでにここにはない「過去」に囚われてしまっているわけですね。

モノとの関係を通して、「いま」「ここ」「私」に向き合う

後藤

「自分にとって必要なモノ」の変化に気づき、囚われから逃れるためには「いま、ここにいる私」に向き合うことが重要だということですね。でも、それがなかなか難しい……。

やました

今こうして話をしながらも、「今日の夕ご飯は何食べよう」って考えてしまうものですよね(笑)。私たちの意識は時空をさまよってしまうものなんです。それはどうしようもないこと。でも、私の身体は常に「いま、ここ」にありますよね。

 

たとえば世界のどこかで起こった悲惨な事故をニュースで見た時、それが過去のことだとしても涙を流したり、苦しくなったりするのは「いま、ここにある私の身体の感覚」です。第三者のことであれ、過去や未来のことであれ、身体は「いま」反応します。だからこそ、身体の反応に焦点を合わせることが「いま、ここにいる私」に向き合うきっかけになるんです。 

後藤

「断捨離はモノを見直すことから始まり、最終的に自分の価値観を見つめ直すことにつながる」ということが理解できた気がします。どのようなモノであっても、それは直接的に私たちの身体に触れるからこそ、そこに意識を向けることが「いま、ここにいる私」と向き合うことにつながる。

やました

その通りです。最も身近で、すぐに触れることができるモノの「要/不要」を感じられなければ、それ以外の「コト」や「人間関係」の要/不要を判断できるわけがないんですよね。

 

実際、断捨離をお手伝いした方々から「これはただの整理整頓ではない。人生の、あるいは自分自身の"整理整頓"だ」とよく言われます。自らの人生にとって必要なものは何か。言い換えれば、自らにとって必要な「こだわり」と不必要な「囚われ」を見極めるために、まずは身の回りを整えることをおすすめします。

新たな希望が入り込むための「余白」をつくる

後藤

ここまでのお話を聞いて、今の私にとってはとても参考になっているのですが、振り返ってみると、若いころは今ほど何かに囚われていなかったようにも思います。若い世代のうちに意識したり行動したりしておくと、歳を重ねた時に囚われにくくなるようなポイントはありますか。

やました

10代〜20代ぐらいは同調圧力に支配されてしまうことが多いと思うんです。周りにどう思われるか、どう見られるかが物事の判断基準になっている。たとえば、服や鞄にこだわってブランドものを買っていたとしても、実は「周囲からよく思われたい」という思いに囚われているだけ、ということもあると思うんです。

後藤

たしかに、私もそうだったのかもしれません。時代を問わず、若いときは同じ道を通るんですね。

やました

親や先生、友達など、さまざまな他者が持つ価値観に触れ、それらにアジャストしなければならないと思い込んでしまうものですからね。でも遅かれ早かれ、親や周囲との関係性を相対化して、何を信じるか、何を取り入れるか考え直すタイミングがやってきます。

 

「あのときは、周囲の意見に囚われてしまっていたな」と気づくことが、自分が本当に大切にすべきものを考えるきっかけになるはずです。

後藤

でも、以前の私が大切にしていたものや考えを否定するのは簡単なことではありませんよね。

やました

そうですね。逆説的に聞こえるかもしませんが、過去の自分を否定するためには、自己肯定感、自己受容感を育むことが重要です。自己肯定、自己受容の土台をしっかりと築けていれば、自分の歩みを否定することが「自分自身の存在を否定する」ことにはならないと気づけるでしょう。そうすれば、過去の自分を否定することが怖くはなくなるはずです。

後藤

自己肯定感をしっかり持っていれば、「何かに囚われていた自分」も受け止めやすくなるということですね。

やました

はい。では、自己肯定感、自己受容感を高めるためにはどうしたらいいか。さまざまなアプローチがあると思いますが、家の中を整えることも有効な手段だと思っています。たとえば、お気に入りの服を着ているときって、なんとなく気分がよくなって、そのときの自分が好きになれるじゃないですか。

 

家も同じです。大きい洋服だと考えてください。どのような住環境を"まとう"かは、自分自身の心と身体に大きな影響を与えます。ファッションやグルメには凝るけれど、家、居住空間はあと回しにしてしまっているという人は少なくありません。

 

でも、誰しもが多くの時間を家で過ごしますよね。そんな空間に余白ができたら、思考の余白も生まれます。新しい希望は、そんな余白にこそ入ってくるんです。

自らの人生にときめき続けるために

やましたさんへのインタビューでは、とてつもなく大きなエネルギーの渦の中に入っていくような感覚を味わいました。そして、人生は一度きりの自分だけのものなのだから、他人の価値観に判断を委ねず、自分自身で考え、自分で選択していくしかない。そんなことを改めて感じた時間でした。

 

私は常に「今、ここ」に生きている。どの瞬間も、一つひとつのモノやコトに心をときめかせる人生を送りたい。そう感じました。

 

しかし、現実の自分の家や冷蔵庫はというと……。

 

「家の片づけ」ではなく「人生の片づけなんだ」「自分自身のあり方の片づけなんだ」と、自分自身と向き合い、この日から私の断捨離修業が始まったことは言うまでもありません。

 

やましたひでこさんへのインタビューでみつけた毎日のくらしと人生を豊かにするヒントは、「365日"身を包んでいる"空間を、居心地のよいものに保つことがウェルビーイングへの一番の近道なのかもしれない」ということでした。

 

一つひとつのモノとの関係性を見つめ直すことをきっかけに「今、ここ、私」に向き合い、自らにとって本当に必要なコトやヒトと生きていきたいと思います。

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『q&d』編集部が問いと対話をより深めていくq&dラヂオでは、断捨離の提唱者・やましたひでこさんを訪ねたときのことを振り返りながら、くらしを豊かにしてくれる「こだわり」とそうではないものの見極め方ついて、改めて考えました。

photo by 加藤 甫

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