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自らの信念を守るため、他者と共に「こだわり」をアップデートし続ける——
映画監督・枝優花と考える、こだわりとの向き合い方

My Theory on Life

自らの信念を守るため、他者と共に「こだわり」をアップデートし続ける——
映画監督・枝優花と考える、こだわりとの向き合い方

私たちは一人で生きていくことはできません。仕事の中で、くらしの中で、私たちは常に誰かと共にあります。しかし、だからこそ煩わしいことも……。「私はこれがいい」「いや、僕はそっちじゃないと嫌だ」。自分のこだわりと誰かのこだわりがぶつかり、どのように落としどころを見つけるべきか迷った経験がある人は少なくないと思います。そのとき、自らのこだわりを捨てるのは「妥協」なのでしょうか。映画監督の枝優花さんと考えます。

監督・脚本・写真家
枝 優花

1994年生まれ。群馬県出身。

2017年初長編作品『少女邂逅』を監督。

主演に穂志もえかとモトーラ世理奈を迎え MOOSICLAB2017では観客賞を受賞、劇場公開し高い評価を得る。香港国際映画祭、上海国際映画祭正式招待、バルセロナアジア映画祭にて最優秀監督賞を受賞。2019年日本映画批評家大賞の新人監督賞受賞。

また写真家として、様々なアーティスト写真や広告を担当している。

q&d編集部
藤原 菜々美

奈良県出身。現在、パナソニック株式会社 事業開発センター所属。

大学時代を京都で過ごし、パナソニックへ入社。入社後はAIの研究開発に携わり、2017年より同社の米シリコンバレー拠点に駐在。2020年より現職にてロボット関連の新規事業立ち上げに携わる。

大阪の劇団に所属し、関西を中心に役者として活動している。

目次

あなたのこだわりは、「妥協できるもの」ですか?

「こだわり」という言葉を聞いて私が最初に思い浮かべたのは「ものづくりにおけるつくり手のこだわり」でした。父の影響で幼少期からコンピュータと触れ合う機会が多く、自身のホームページをつくるなど、何かを「つくる」ことが日常にありました。そのせいか、大人になってからも自然とものづくりに携わる道を選びました。パナソニックでロボットの新規事業のプロジェクトに携わり、また、役者としても舞台の作品づくりに携わっています。

 

そんな環境のおかげで「こだわり」を持ったつくり手の方に触れる機会は多い方かもしれません。エンジニア、デザイナー、脚本家、演出家……。私は、自分のこだわりを持ってものづくりをする方の姿がとても好きですし、製品や作品には多かれ少なかれその人らしさが表れるものだと思います。

 

ものづくりには多くの人々が関わります。関わる人それぞれがよりよいものをつくろうとするがゆえに、こだわり同士がぶつかったり、自分のこだわりを諦めざるを得なかったり。それぞれが大事にしているこだわりがあるからこそ、それらと向き合わざるを得ないものづくりには、ストレスがかかることもあります。

 

一人であれば思うままにこだわれるものでも、他者がいればそうはいきません。一方で、より“大きな”ものをつくり上げるためには、多くの人の力が必要になります。それぞれのこだわりを生かしながら、よりよいものをつくっていくにはどうすればいいのでしょうか。こだわりを妥協することは、自分に背くことではないのだろうか——。

 

この問いは、「ものづくり」だけに関係するものではないと思っています。なぜならば、私たちは日々のくらしの中でも少なからずこだわりを持ち、誰かと生きているからです。創造におけるこだわりを起点に、くらしの中のこだわりに関する考えを深められるのではないでしょうか。

 

そんな問いに一緒に向き合ってくれるのは、映画監督の枝優花さんです。自分のこだわりを持ちながら、多くの方とのものづくりをしてこられた枝さんなら、この問いを解くヒントを持っておられるのではないか。そう考えて、枝さんにお話を伺いました。

「こだわり」とは、後悔しないための選択

藤原 菜々美(以下、藤原)

本日はよろしくお願いします。

枝 優花(以下、枝)

いきなりですけど、出身はどちらなんですか? イントネーションを聞いて気になっちゃって。

藤原

奈良です。今は大阪に住んでいるので、今日は新幹線で来ました。

この取材のために!? わざわざありがとうございます。

藤原

いえいえ、こちらこそお時間をいただきありがとうございます! さっそくですが、「こだわり」という言葉を聞いたとき、枝さんはどんなことを連想しますか?

パッと思い浮かぶのは「仕事」ですね。というのも、私は日常生活の中でのこだわりがほとんどなくて。モーニングルーティンがある人に憧れて、私も何かこだわりのルーティンをつくってみようとトライしたことがあるのすが、三日坊主で(笑)。

 

性格的に同じことを続けられないんですよね。唯一続けられているのが、監督という仕事なんです。だから、私の「こだわり」はすべて仕事に詰まっていると思っています。

藤原

では、仕事にはかなり強いこだわりを持っている?

現場の人によく「頑固だね」って言われるんです。ただ、おそらくみなさんがイメージする頑固とは違って、その言葉に含まれているのは「意外と粘る」「意外と譲らない」といった意味で。100%譲らないわけではないけど、「この1個だけは絶対やらせてほしい」というこだわりが自分の中にあります。

 

もちろん、全員が納得する形に落とし込まなければならないときもあります。でも、自分の中で「これだけは譲れない」と思っていることを譲ってしまうと、自分がやっている意味を感じられないし、後悔してしまう気がするんです。だから私にとっての「こだわり」とは、「後悔しないための選択」なのかもしれません。

藤原

後悔しないために、どんなことを大事にされているのでしょうか?

ざっくり言うと、「嘘がある瞬間にはOKを出さない」ことですね。映画においては、役者の感情以外はすべて偽物です。唯一本物なのは、対話の中で生まれた役者の心の動き。だからこそ、役者は演じるキャラクターになりきり、それが演技だとしてもそのキャラクターの「リアルな感情」を表現しなければなりません。

 

そこに嘘があって、その嘘を認めてしまったら、何のためにやっているのかわからなくなってしまうと思います。自分のメンタリティや体の状態をフラットにしておかないと嘘を嘘だと認識できなくなってしまうので、そうならないように、常にフラットなメンタルを保ち続けることを心がけています。

藤原

嘘がある瞬間を見逃さないことを大事にするようになったきっかけはなんだったんでしょうか。

最初に演出を教えてくれた師匠が、役者にずっと「嘘をつくな」と言っていて。最初は意味がわからなかったんです。嘘をついているのかついていないのかもわからないのに、師匠は芝居を一発だけ見て「嘘だね」と言う。

 

でも、そのうちなんとなく師匠がいかに嘘を見抜いているのかがわかってきました。そこから「嘘をつくって何だろう」「どうしてこの人は本物を大事にしているんだろう」と考えるようになりました。

 

あと、映画を観ていると、自分の心が震える瞬間とか、なんだか目が離せなくなる瞬間とか、涙が出ちゃうことがあるじゃないですか。おそらく、そういった瞬間に「本物」が現れているんですよね。逆に言えば映像が映しているものが「本物」でなければ、見る人の心は動かない。そう考えているからこそ、「嘘をつかないこと」を大切にしています。

藤原

なるほど。「嘘をつかないこと」が仕事における枝さんのこだわりなのですね。

一人では「自らが想像できる世界」にしか行けない

藤原

映画制作には役者やスタッフの方など、多くの人が関わられていると思います。それぞれの人が持つこだわりがある中で、それらがぶつかることもあると思うのですが、そういった場面で枝さんが大切にされていることはありますか。

こだわりをぶつけ合うことそのものを大切にしています。あるとき、若い子から「学校で作品をつくってみたけど、うまくいかなかったんです。『誰かとつくる』ことをがんばらなければ、映画監督にはなれないのでしょうか」と質問されたことがありました。

 

私は「そうだよ」と答えました。一人の頭の中でつくったものなんて、大したものにはならないんですよ。カメラマンや役者など、さまざまなプロフェッショナルが集まり、一つの作品をつくるからこそ、意味がある。同じ台本を読んで来ているにもかかわらず、その役割や立場によって、解釈が全然異なるんですよね。

 

それぞれの解釈を聞いたとき「そんな見方もあるのか!」と、毎回感動するんです。全員が監督の言うことだけを聞いてつくられた作品に、私は魅力を感じません。監督の頭の中の世界は表現できるかもしれないけれど、他の誰かの視点が入ってこないと、想像以上のものはできないんです。

 

自分の世界を壊し、想像もしていなかったような世界に連れていってくれるのは、いつも他人ですから。そう考えるようになってからは、意味のない衝突はなくなった気がしますね。

藤原

私も会社で新規事業を立ち上げているのですが、チームのメンバーそれぞれのこだわりがぶつかってしまうことがあるんです。そんなとき、まったくストレスを感じないと言えば嘘になります。だけど、自らのこだわりだけではなく、他者のこだわりにも耳を傾けなければ「自らの世界」は超えられない。

昔は自分のこだわりを誰にも譲らないことを大事にしていたんです。でも、自分のこだわりだけを大切にしたいのなら、誰かと何かをつくる必要はないじゃないですか。

 

今はスマホで簡単に動画がつくれますし、それを発信して、承認欲求も満たせますよね。わざわざ何十人、何百人もの他者と協働し、ときには喧嘩をしながら作品をつくるなんて……と、思う人もいるかもしれませんが、こだわりを譲ることがあったとしても「誰かとやること」に意味があるんです。

「こだわること」に、しがみついてはいけない

藤原

私は仕事などの中でこだわりきれなかったときに、「妥協した」「諦めた」というネガティブな感情を持ってしまうことがあります。枝さんにもそういった経験はありますか?

ないわけではありませんが、作品の完成度に妥協したことはないですね。どういうことかというと、撮影現場では80点まで来ていて、もう少しこだわれば85点まではいけるかもしれない。だけど、編集などの後工程で100点まで持っていける確信があるときは、その5点にこだわることはしない、ということです。

 

そういう判断ができるようになったのは、経験を重ねて、最終的な仕上がりを想定する能力が付いてきたからなのかもしれません。作品として100点が取れるという確信が持てるようになったからこそ、こだわりを譲る場面も増えたのかもしれません。

藤原

経験を積み重ねられたからこそ、こだわりとの向き合い方が変わってきているんですね。

そうですね。それに、こだわり自体がこれからも変わっていくと思いますし、変えていきたいと思っています。「こだわる」って「しがみつく」みたいなイメージがあるじゃないですか。

 

でも、私にとってのこだわりは、しがみつく対象ではありません。あくまでも大事にすべきは、自らの信念や哲学と呼ばれるようなものだし、それすらも変わっていくものだととらえています。今はこれが大事だと思っていても、考え方って変わるじゃないですか。誰かと出会ったり、映画を観たりして、「今大事にしているものより、こちらの方が大事かもしれない」と思うことがある。

 

私にとっての「こだわり」とは、「その時々の信念や哲学を大切にする手段」なんです。先ほど、「こだわりとは、後悔しないための選択」と言いましたが、もう少し具体的に言えば「『信念を守れなかった』という後悔をしないための選択」と言えるかもしれません。

藤原

「こだわり」は、あくまでも信念を貫くための手段であって、こだわることが目的になってはいけない。

そうですね。だからこそ、こだわりはその時々の状況や環境に応じて柔軟に変化させていきたいと思っていますし、そのために相手の考えを聞いたり、自分の考えを一旦置いておいたりすることが大事だと思っています。「こだわり」ってもっと柔軟性があって、自分の世界を豊かにしてくれるものなのではないでしょうか。

他者にひらき、こだわりを変化させ続ける

藤原

手段であるこだわりにとらわれてしまうと、本来守るべき「自分にとっての大事なもの」が見えなくなってしまう危険性がありますよね。そうならないために気をつけていることはありますか?

「自分を優先しないこと」ですかね。恋愛にも同じことが言えると思うのですが、相手を大事にしたいと思ったとき、同時に「相手から嫌われたくない」「この人からこう思われたい」というエゴが出てきてしまうこともあります。

 

そういったエゴを優先した行動が相手を傷つけ、失うことにつながることもある。難しいことですが、「こんなふうに見られたい」という自意識を捨て、ダサい自分のまま相手に飛び込むことが大事だと思っています。その方が受け入れてもらったときの喜びは大きくなりますし、一生続く関係になるはずです。

 

そのことに気づいて、「自分」にこだわっている場合じゃないと思ったことがありました。だから私は、自分のダサい部分も含めて言語化し、友達に話すようにしています。

藤原

友人に向けて、自分のことを言語化して伝え、壁打ちを繰り返すことで、自分が本当に大事にすべきもの、向き合うべきものに気づいていく?

自分の頭だけで考えていると、思考が狭くなったり、エゴにとらわれてしまうことがあります。そんな状態が続くと、どうしても「どうでもいいこだわり」が生まれてしまう気がするんですよね。

 

ですが、それに自分で気づくのは難しい。だから、私はうまくいっていないことも含めて友人に話すんです。友人たちの意見を聞いていると、「何で自分はこんなことにこだわっていたんだろう」と気づくことがある。そうして、「どうでもいいこだわり」を捨てることが大事だと思っています。そうすることが、本当に大事にするべきこだわりを守ることにつながるはずですから。

 

自分の中に閉じこもって、「どうでもいいこだわり」にしがみついているのは、何というか……面白くない。変わっていくことが面白いのですし、こだわりもまた、さまざまな人たちとの出会いや、自らの内面と共に変わっていくことでどんどん魅力的なものになっていくのではないでしょうか。

藤原

他者にひらくことで、他者の視点を得て、自分のこだわりをアップデートしていく。

それが大事だと思います。先ほども言ったように、こだわりは手段なので、揺らいでもいんですよ。「前に持っていたこだわりがなくなってしまった」と気に病む必要はないと思っています。こだわりは変わるものだということを理解し、変化を受け入れることで楽になるはずです。

 

その時々の自分や、自分が信じることを守るために、こだわりを変え続けるのは素晴らしいことだと思います。

「こだわりを捨てること」が、本当に大切にすべきことを教えてくれる

枝さんとの対話は日が暮れるのを忘れてしまうぐらい、あっという間の時間でした。物腰柔らかくお話しされる中にも、枝さんの映画監督としての信念を感じました。

 

この問いを考えた当初、「こだわりは貫いてこそ意味があるのではないか」「自分のこだわりを捨てるということは、『妥協』や『諦め』なのではないか」と思っていました。

 

自分が大事にしてきたこだわりだからこそ、それを大切に守っていく必要があるのではないかと。しかし、枝さんとのお話を進めていく中で、こだわりというのはもっと柔軟で、もっと大きくとらえることができて、自分を豊かにするものであると感じました。

 

他人と何かをつくり上げていく上で、こだわりがぶつかることを不必要に恐れなくていいし、自分のこだわりに縛られて、がんじがらめになる必要もない。こだわりは自分の中で大事に育てていくものというよりは、他人と相対する中で変わっていくような、そんなものであると感じました。

 

自分のこだわりにしがみつくのではなく、自分と関わってくれる人たちと共有したり見直したり、ときに捨てたりしながら、自分のこだわりと付き合っていきたいと思います。

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『q&d』編集部が問いと対話をより深めていくq&dラヂオでは、映画監督・枝優花さんを訪ねたときのことを振り返りながら、こだわりを持つ者同士が一緒に何かに取り組むとき、大切にしたいことについて、改めて考えました。

photo by 須古 恵

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