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「推し」の背景にアイデンティティの不安?
ポップミュージックから見る、Z世代の今

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「推し」の背景にアイデンティティの不安?
ポップミュージックから見る、Z世代の今

q&d創刊から1周年。これまでと違う新たな手段での対話を模索するなか、編集部は10代を中心とした学生の声を織り交ぜて「歌」を制作。そのなかで新たに生まれたのが、音楽は世代間の「違い」を埋めることができるのではないか、という問いです。

そこで今回、音楽ジャーナリストの柴那典さんに、ポップカルチャーの歴史や音楽が果たした役割を教えていただきながら、違いを超えて対話を深めるヒントを一緒に考えていきました。

音楽ジャーナリスト
柴 那典

1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。著書に『平成のヒット曲』(新潮社)、『ヒットの崩壊』(講談社)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、『渋谷音楽図鑑』(太田出版)などがある。数々のアーティストへのインタビュー・執筆活動を手がける。

q&d編集部
田中 麻理恵

インドネシアで小学生時代を過ごす。現京都市立京都堀川音楽高校、神戸大学発達科学部にてクラシック音楽を学ぶ傍ら、ソングライティングの経験を積む。パナソニック入社後、経理職を経て、ブランドコミュニケーションに従事。趣味は土いじり。

激しく変化する世界で、お客様だけでなく、社員や関係者も含めたあらゆる人々の幸せを生みだす「チカラ」であり続けたい――。そんな願いからパナソニックグループは2022年4月、新たなブランドスローガン「幸せの、チカラに。」を発表しました。

 

学校生活や友人との時間、家族との過ごし方など、かつてない状況の中で、若い世代はどんな幸せを描いているのだろう。対話を通して「自分らしい幸せ」について考えるべく、q&dは前回、大坂なおみさんへのインタビューを紹介しました。

 

今回、創刊から1周年を迎えることもあり、これまでと違う新たな手段での対話を模索するなかで、音楽を通したコミュニケーションに挑戦してみることになりました。

 

まずは、中高生や大学生にアンケートとインタビューを実施。彼らの声を織り交ぜて作詞作曲を進め、歌を作りました。一人ひとり、自分の内面を見つめながら話してくれた気持ちや言葉は、非常に共感できるものばかり。その経験を経て感じたのは、本当は世代を超えて共感できることが沢山あるはずなのに、若い世代とそうではない世代が互いに「違うもの」だと思い込んでしまっているのではないか、ということです。

一方で、音楽のなかには時代や世代を超えて愛され続けてきたものも多く、音楽によって世代間の「違い」の溝を埋めることもできるのではないか、とさえ思えてきました。そこで今回、音楽ジャーナリストとして活躍する柴那典さんを訪問。ポップカルチャーの歴史や音楽が果たしてきた役割を教えていただきながら、若い世代のインサイトや世代を超えて対話を深めていくためのヒントを考えていきました。

目次

「若者のための音楽」は1950年代以降

田中 麻理恵(以下、田中)

はじめまして。今日はよろしくお願いします! 今回、大学まで音楽を学んでいたこともあり、私が中心となって若い世代の声をもとに楽曲を制作したのですが、その過程で湧いてきた様々な疑問について、柴さんにお話を聞けたらと思っています。

柴 那典さん(以下、柴)

はい、よろしくお願いします!

田中

最初に聞いてみたいのが、ポップミュージックの歴史についてです。あらためて振り返ると、音楽は常に若者に寄り添い続けた存在のように感じるのですが、柴さんはどう思いますか?

エルヴィス・プレスリー以前と以降で分かれる、と言われていますね。エルヴィス以前の音楽はジャズやクラシックが中心で、もちろん若者のための音楽もありはしましたが、今に通じるようなものではありませんでした。

 

1950年代にエルヴィスが出てきてから、若い人たちが夢中になる対象としてのポップミュージックが、英語圏を中心に生まれました。1960年代にザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズが出てきて、一気にカウンターカルチャーとしてのポップミュージックが、同じく60年代に盛り上がったヒッピーカルチャーのムーブメントとも重なり、一般化していきました。

田中

若い世代を対象とした音楽が生まれたのは意外と最近のことなんですね。

おそらくそれは世代の人口比も大きく関わっていると思います。日本では団塊の世代と言われますが、海外でもベビーブームで一気に10代の数が増えたのが1960年代前後の頃でした。その時代に若者の文化が盛り上がったんだと思いますね。

自分を捨てなければいけない時代から「自分探し」の音楽へ

田中

その時代と今とでは音楽の雰囲気やメッセージングに違いはあるのでしょうか?

日本の高度成長期は、まだ家父長制や前時代的な社会制度の名残りが色濃く存在していました。結婚する年齢や相手などをはじめ、個人はある程度定められたライフコースを当たり前のものとして受け取って生きていた時代です。そういう時代を象徴するヒット曲が美空ひばりさんの『柔』ですね。

田中

「自分を滅すること」が歌詞にこめられている曲ですよね。

まさに。最近よく言われる「自分探し」と違って、当時は個人の幸せを追求するよりも集団や目上に尽くすことが優先されていた、いわば自分の幸せを捨てなければいけない時代。やりたいことを押し殺して滅私奉公することが美徳だったことを示唆している曲だと思います。

 

それに対して、たとえばMr.Childrenの『終わりなき旅』は、自分のアイデンティティが定まらないことや自分探しをすることを旅になぞらえた曲ですよね。そういう発想で作られた曲は、60年代だったらヒットしなかった気がします。

田中

たしかに、人生観が全然違いますよね。何に悩みや苦悩を感じるかも変わりそうです。

そうだと思います。「社会の歯車として生きていくこと」を多くの人が当たり前のこととして受け取っていた時代が終わるのは、幸せなことだと思います。ただ、より自由になり、選択肢が広がる現代になっていくと、新たな悩みが生まれてきました。自分で自分らしさを見つけて、自信を持たなければいけない。そこにはまた違う不安がありますよね。

 

そして「選択肢が増えたがゆえの不安」は、ひょっとしたら90年代を生きた若者よりも、今を生きている若者の方がより大きいかもしれません。そういう意味で、60年代と90年代ではガラっと変わりましたが、90年代と2020年代は延長線上にある気がしています。

田中

今回歌を作っていくなかで、学生さんたちが感じる「自分はこのままで良いのだろうか」というアイデンティティの葛藤や人間関係の悩みは、私も他の社員も共感することが多かったんです。それは今柴さんがおっしゃった同じ「延長線上」にいるからかもしれませんね。

「何をやってもうまくいかない」 一言で感情を表現する歌が流行

田中

時代の空気感は90年代以降、あまり変わっていないと思いますが、音楽を受け取る手段や環境は大きく変化していますよね。それによる影響はどのように見ていらっしゃいますか?

Z世代以降は「デジタルネイティブ」と言われ、物心ついたときからインターネットやYouTubeがあった世代ですよね。さらにα世代は思春期にストリーミングサービスが存在しています。

 

YouTubeやストリーミングの登場によって変わったのは、「聴く」のが先になること。流行している音楽を友達から聞いたり、SNSで教えてもらったり、プラットフォームの新曲リストで見かけたり、いろんなきっかけで知った曲を、まずは聴く。聴いた後に、よかったら「お気に入り」機能に入れる。本当に好きになったらCDを買ったり、ダウンロードしたりすることもあるかもしれない、という感じです。つまり、選ぶ前にコンテンツが自分にやってくるわけです。

 

しかも、コンテンツの供給側は再生回数が多い方が収益になるので、どんどんプラットフォーム上でレコメンドを送ります。その結果、以前は音楽を選んで聴いていたのが、いまは浴びるように日々コンテンツを摂取するようになっているのではないでしょうか。

田中

日々浴びるようにコンテンツのレコメンドがされるなかで、私たちは音楽をじっくり聴くのではなく、聞き流すような状況が増えているのかもしれないと思いました。聴き方の変化は、音楽に対する共感の仕方にも変化をもたらすのでしょうか?

僕もわからないというのが一番の答えなのですが、わからないながらも仮説をもっています。

 

2〜3年前からプラットフォームとして大きな影響力を持ってきているのがTikTokです。おそらく上の世代の多くは「バズる=ノリが良くてダンスの振り付けが盛り上がる曲」だと思っているかもしれません。それも間違ってはいないのですが、使われ方をよく見ていくと、「陽のパンチライン」か「陰のパンチライン」のどちらかがあるような曲が多く使われています。

「陽のパンチライン」とは、「俺ら最強」「俺らイケてる」「私はすごくかわいい」といった自己肯定系のフレーズを持った曲。ヒップホップに多いです。一方、「陰のパンチライン」は岡崎体育さんの『なにをやってもあかんわ』や、MAISONdesさんの『ヨワネハキ』みたいに、「何をやってもうまくいかない」というような、ネガティブなメッセージがある曲です。

 

TikTokでは、その陰と陽がはっきり出やすい音楽が流行しているように感じています。かなり限られた時間のなかで伝えるので、よりパンチライン化しているのではないでしょうか。

田中

今回のプロジェクトにあたってJ-POPのリサーチをしたのですが、まさに「何をやってもうまくいかない」という諦めや開き直りの空気が漂っている曲が結構あったんです。TikTokは陽のイメージがありましたが、陰のパンチラインも強い派閥としてあるんですね。

そうですね。陽なのか、陰なのか、もしくはノスタルジーなのか、どの感情かを一言でくっきりと表現するものがバズる傾向にあると思います。

「推し」の概念は分断ではなく共存

田中

ここまで社会の変化に伴う音楽の変化について伺ってきましたが、先ほど「世代によらない悩みの共通点」のお話などもありました。今回、楽曲制作を進めるなかで一番感じたのが、Z世代やα世代などと大人が勝手にラベリングして、自分たちとは違うものとして線を引いてしまうことで、かえって分断が生まれているのではないかということです。

 

そして、世代を超えて愛される音楽にはその分断をなくしていける可能性があるように感じたのですが、柴さんは音楽の役割についてどのように考えていらっしゃいますか?

僕もまったく同じ意見です。Z世代とかα世代などと言っているのは大人側の都合ですよね。

 

大人になると忘れてしまいがちなのは、同じ年代でも多様な価値観や感性が存在しているということです。中学生のときは40人のクラスだったら、そのなかにスポーツに打ち込んでいる人、成績がよくて優秀な人、地元の不良とつるんでいる人など、いろんなグループがあったはずです。

 

その多様さの実感を誰もが持っていたはずなのに、大人になると、ひとつの箱にまとめて入れようとしちゃうんですよね。それはおかしいなと思っています。世代というのはあくまでも、どの年齢でどの情報環境にあったか、という共通点しかないのではないでしょうか。

田中

私もまさに、学生さんたちの話を聞いていて、世代による違いではなく、結局は一人ひとりの性格や特性による違いだと感じました。

そうですよね。一方で「分断」に関しては、僕はあって構わないと思っている派なんです。分断と多様性は隣り合わせだと思っているので。同じクラスに、ヒップホップが好きな子がいて、ジャニーズが好きな子もいて、K-POP好きな子もいる。それは素晴らしいことですよね。

 

ただ、「分断」がネガティブなイメージで語られるのは、たとえばジャニーズ好きとK-POP好きの間で、けなし合ったり、互いのことを認め合えない状態が生じたときだと思います。

 

でも、音楽は分断が起きにくい世界ですし、ここ数年で「推し」の概念が生まれたのもすごくいいと思っています。他の人が他の誰かを推していることについて、とやかく言うことはないし、推している相手や対象物が違ったとしても自然に共存して友達になれる。「推し」という楽しみ方を多くの人が知ったことで、分断が生まれづらくなったのではないかと思います。

田中

「推し」って、私もいい概念だなと思います。ガンガン押してくるんじゃなくて、「よかったら聴いてみて」みたいなニュアンスが平和的だなと。

「普通」ゆえの不安に対する音楽の処方箋

若い人たちが「推し」という概念を自然に取り入れて使っている背景には、アイデンティティの悩みも実は結びついていると思います。

 

SNSがここまで普及して世界中の人とつながれる社会になった以上、何をするにしてもライバルが世界中にいる。自分より優れている人なんて何百万人もいることが目に見えてわかります。そういうなかで、自分は何者なのか、何をすべきか、考えても答えが出ない。自分の位置がよりシビアに見えてきて、オンリーワンである自分を見つけるのが難しいんですよね。

 

ただ、推しと自分の関係性は常に「one and only」なんです。どれだけ他のファンがいようが「推す」という関係性においては一対一。そこにアイデンティティの充足がある気がします。

田中

バックグラウンドを考えると、「推し」って深い言葉ですね。

自分が何者であるか、アイデンティティが見つからない状態は青春の悩みや葛藤のいわば王道で、誰もが必ず通る道ではあるんだけれども、「普通」であるからこその、名状しがたい不安感は、ある種の抑圧になって若い世代にすごく突き刺さっていると思います。そして、音楽はその不安に対していろんな意味で処方箋になりうると思います。

田中

以前、当社が別の企画で若い世代と話をするなかで、「夢がない状態を認めてほしい」というフレーズに多くの共感が集まったらしいんです。夢や生きがいがないこと、それだけでも焦ったり不安を感じたりするだろうに、社会からも認められないのはダブルでつらいだろうなと。

 

だから、「頑張れ」と鼓舞するのではなく、「前に進んでる実感がなくても大丈夫だよ」とか「そういう自分を自分には隠さなくていいんじゃない?」といった想いを、今回の歌詞に込めました。

それはぜひ聴いてみたいですね!

田中

ありがとうございます。ぜひ、最後に聴いていただければうれしいです!

言葉や論理を超え、共感し合う

このあと、制作した楽曲『ロードスター』をお聴きいただいたところ、柴さんは「ジャンルとしてはシティポップ。本来シティポップは消費社会のBGMで、『ドライブに行こうよ』や『土曜の夜は皆で遊ぼうぜ!』といった即物的な快楽を歌ったものが多い。また、曲名になっているロードスターとはオープンカーを指す言葉でもあり、消費社会のカッコ良さの象徴。それなのにこの曲は歌詞がすごくシリアスで、多義性があるのが面白い」と評してくださいました。

 

今回のインタビューを通し、音楽は社会と共にあり、人と共にあるということを、あらためて感じました。音楽には必ず作者の感情や気分が表現されているはずで、時代と共に聴き方が変わったとしても、そこに表現された普遍的な何かを世代を超えて感じ合うことができる。そこに、分断を超えて対話を広げていくヒントがあるかもしれない、と思いました。

 

若い世代との対話から生まれた楽曲『ロードスター』に、少しでも多くの方が何か共感できるところを感じていただけたら、とても嬉しいです。

若い世代との対話から生まれた楽曲『ロードスター』に、少しでも多くの方が何か共感できるところを感じていただけましたら幸いです。世代を超えて対話を深めるためのアイデアや、楽曲『ロードスター』の感想などがあったら、ぜひ「#自分らしさの現在地」をつけて、ツイートしてくださいね。

Photo by 川島 彩水

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