q&d第5回目の特集では、私たちが掲げる11の問いのうちのひとつ「Make Your Own Way」をテーマとして、「くらしや仕事における自分らしさ」について考えます。

兵庫県出身。一橋大学卒業後、パナソニックに入社。UK駐在、4泊5日で4カ国を回ってテレビを売り込むなどといった海外営業職を経て、2017年から未来創造研究所所属。デジタル、デザイン、コミュニケーションの交点をうろうろしてコミュニケーションの未来をつくることが仕事。疲れてくると息子を吸いがち。趣味は観劇。
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くらしの選択肢が広がり、自分らしくあるための手段が増えた
朝、仕事を始める前にバタバタとマンションの下に降りてゴミを出しに行くと、たくさんの小学生とすれ違います。背中には色とりどりのランドセル。その姿に「私が子どものころも、こんなふうに選べる色が豊富だったら、何色にしたのだろうな」と思うことがあるのです。
当時の自分の好きな色で選ぶことができたなら、迷わずピンクだった? それとも、親の顔色や友人の選ぶランドセルの色が気になって、自分が一番好きな色は選べなかったかな……朝のぼんやりした頭で、ふとそんなことを考えます。ランドセルの色のように、私たちのくらしにおける選択肢は、ここ十数年で大きく広がったように感じています。
そして、そうした「選択肢を広げること」「外から決められたものではなく自分が心地よいと感じるものを選ぶこと」の重要性は、徐々に世の中にも受け入れられつつあるのではないでしょうか。

例えば2022年版の男女共同参画白書では、コロナ下で顕在化した種々の問題の背景について「家族の姿が変化しているにもかかわらず、男女間の賃金格差や働き方等の慣行、人々の意識、さまざまな政策や制度等が、依然として戦後の高度成長期、昭和時代のままとなっている(※1)」と明言されたことが、各種報道で大きく取り上げられました。価値観の多様化とともに家族のあり方の選択肢が増えてきた事実と、それに合わせて社会の制度やシステムを変えていくべきという認識は、着実に社会に根付きつつあると言えそうです。
※内閣府男女共同参画局「令和4年版男女共同参画白書」より引用
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/gaiyou/pdf/r04_gaiyou.pdf(2022年7月確認)
まだまだ不十分ではあるけれど、一人ひとりが心地よく、自分らしくくらすための選択肢は今後も確実に広がっていくのではないか――そんな希望をもっています。私たちq&dの編集部も、誰かの選択肢を広げていけるような、誰かが今まで気づかなかった自分らしさに気づくきっかけとなるような発信ができたらいいなと考えながら、企画や記事に向き合っています。
選択肢が増えたからこそ、他者の影響を受けやすくなった?
一方で、選択肢が十分に増えれば、「自分らしさ」は存分に尊重されるのでしょうか?
ランドセルの例でいえば、「本当は水色のランドセルが欲しかったのに、イヤイヤ女の子らしい色のランドセルを選ばされた」「男の子だから黒や青、緑などの無難な色のランドセルを選ぶよう親に誘導されてしまった」といったケースも多いだろうと考えられます。このように「他者のバイアスによって、自分らしさに制限がかけられてしまうこと」は、ランドセル選びに限らず、さまざまなシーンで起こりうると思います。
自分自身のくらしの中では、従来であれば知る機会がなかった他人の日常が、SNSの影響によって可視化されたと強く感じます。タイムラインに届く鮮やかな他人のくらしを見るたびに、等身大の自分のくらしに少し自信を失ってしまい、ときには見よう見まねで自分らしくない選択をしてしまうことがあるのです。

日々の食卓、休日の過ごし方、部屋のインテリアなど、本来はパーソナルで人に見せるようなものでない事柄が、自分の外側にある目からランク付けされているように感じてしまう人も多いのではないでしょうか。くらしの中で自分らしさを表現する機会が増えた反面、顔も知らない他者の存在に影響を受け、自分らしさが揺らぐような機会も同様に増えたと感じています。
誰からの影響も受けない状態は、自分らしいと言える?
では、他者からの影響さえ排除すれば、自分らしさを取り戻すことができるのでしょうか?
例えば、休日家から出ずにリラックスするときの服装と、オフィスに通勤するときの服装を思い浮かべてください。休日の服装と通勤用の服装は異なる人が多いと思います。オフィスでの服装は、勤務の時間帯や仕事で会う人、そして執務内容など、他者や周囲の状況への配慮からある程度の規制が働いているからです。
それでは、「休日の服装はあなたらしいけれど、オフィスでの服装はあなたらしいとは言えないですよね、人の目を気にしているんだから」と言われると、どうでしょう? 「そういうわけではない気がする……」と違和感を覚えるのは、きっと私だけではないと思います。
「ビジネスの場では力強い自分でありたい」「お気に入りの洋服や小物で自分に気合いを入れる」などと、制限があるなかで自分らしさを表現している人は多いでしょう。他者や外的な事情への配慮を含めても自分の心地よさにつながっているのであれば、それは紛れもなく自分らしさと言えると思います。

オフィスでの服装の例を考えていて、「自分らしさ」は自分自身の中だけから生まれるのではないということに気づきました。もちろん、自分の内なる個性・志向といったものが核になっているとは思いますが、他者との関係性の中で育まれる部分も少なくないはずです。それはなぜか。たとえ一日中家にこもって過ごしていたとしても、人は自分以外の誰かと関係せずに、くらしを営むことができないからではないでしょうか。
少し話が変わりますが、幸福度研究の分野では「幸せを感じるためには他者の存在が欠かせない」ことが明らかになっています。フィンランド出身の哲学者で、これまで幸福について数多くの論文を発表してきたフランク・マルテラ氏は、幸福の定義ついて「自分が無理せずにできることを誰かのためにおこない、それを相手が喜んでくれたときに人は満足を得られる。つまり、誰かのために何かをして、それが相手の助けとなり、さらにはコミュニティの利益となることで得られるのが『幸福』ではないか」と語っています(※2)。
※WIRED「なぜフィンランドは「世界幸福度報告書」で3年連続首位に輝いたのか? 気鋭の哲学者が明かした、国の成り立ちと「幸福度」の関係性」を参照
https://wired.jp/2021/02/14/frank-martela-interview/(2022年7月確認)
「人は他者との関係の中に幸せを見出す」という指摘は、その通りだなと感じました。そこから考えると、私の、そしてあなたの「自分らしさ」は、大なり小なり他者との関係から切り離せない部分を含んでいるのではないでしょうか。なぜなら、等身大の自分らしさを大切にするということも、結局は「幸せなくらしを営みたい」という大きな目的のためにあるように思えるからです。
他者や社会とよい関係を築きつつ、ほかの誰とも違う「自分らしさ」を大切にするには
こうして考えていくと、一人ひとりが「自分らしさ」を形作るために必要なことがいくつも見えてきました。そしてそこには「他者や社会による抑圧から守り尊重する自分らしさ」「他者や社会とのいい関係の中で育まれる自分らしさ」という相反する要素があるのだな、と感じています。
他者と交わることも大事だけど、交わりすぎないことも必要……そんな矛盾をはらんだ「自分らしさのバランス」をどのように捉えれば、心地よい日々を過ごせるのでしょうか。この特集では、編集部員がさまざまな面から「自分らしくくらすための問い」を探究してみました。
落ち着いてくらしに向き合いたいと願っているのに、責任感からつい仕事を優先してしまい、くらしがおざなりになっている……。どうすれば目の前の仕事と適切な自分らしいバランスを見出せるのか、という問いを「仏教」の観点から考えてみたり。
寮から出て一人暮らしを始めてみて、心から自分らしく振舞える喜びと同時に、どこまでも自分本位になってしまいそうな危うさを感じた経験。よい「自然体」とはどういう状態なのかを「ダンス」「身体」の視点から対話してみたり。
アウトドアが大好きで、休日は思いっきり自然の中で体を動かしたい。でも、友人や同僚が休日に自己研鑽しているのを見ると、遊んでばかりいていいのかという焦燥感を覚える。そんな等身大の感覚で「休み」の視点からひもといてみたり。
みなさんは、ご自身の「自分らしさ」をどのように見つけ、大切にしていますか。今後自分らしさを大切にするためにやっていきたいことはあるでしょうか。ぜひ 「#自分らしさの現在地」をつけてつぶやいてみてください。
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