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家族になる条件って?
100人以上が集う拡張家族の実践から家族との関係構築を考える

Better Relationships
q&d編集部 松島 茜
社会活動家
石山 アンジュ

1989年生まれ。シェアリングエコノミーの普及に従事。シェアの思想を通じた新しいライフスタイルを提案する活動を行うほか、一般社団法人シェアリングエコノミー協会常任理事(事務局長兼務)、厚生労働省・経済産業省・総務省などの政府委員も多数務める。

また2018年ミレニアル世代のシンクタンク一般社団法人Public Meets Innovationを設立、代表に就任。ほかテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」レギュラー出演や、新しい家族の形「拡張家族」を広げるなど幅広く活動。著書「シェアライフ-新しい社会の新しい生き方(クロスメディア・パブリッシング)」

q&d編集部
松島 茜

愛知県出身。大学在学中にフリーペーパー制作とドイツ留学を経験。名古屋大学文学部を卒業後パナソニックに入社し、様々なイベント、セミナー企画に携わる。子どもの頃から食分野に興味あり。週末にはパンを焼く。

血がつながっている人が家族、結婚していれば家族——私自身もかつて、これを当たり前の前提として受け入れていました。しかし一人ひとりの経験に耳を傾けるうちに、家族の捉え方というものが、自分の想像よりも遥かに多様であることに気づきました。

 

世界に目を向けると、従来の家族観に縛られない新たなつながりの形として、欧⽶を中心に"Chosen family"という概念が登場しています。これは⾎縁に関係なく⾃らの意志で集まり、"家族"を形成する人々を指す言葉です。

 

どんなつながりを家族と呼ぶのかは、個々に委ねられている。そうした社会へと変わってきたことには、希望を感じています。ただ、家族という言葉の定義が広がっていったとき、私たちは何を拠り所にしたら、互いが家族であることを信じていけるのか……。そんな疑問が、不安と共に頭をよぎりました。

 

今回は、日本で拡張家族コミュニティCiftに立ち上げから参画している石山アンジュさんを訪ね、あらためて"家族"とは何なのか、人が他人から家族になる過程には何が必要なのかを一緒に考えていただきました。

今回お話しいただいた石山アンジュさん

他人と家族のボーダーラインはどこにあるのか——拡張家族Ciftのあり方

松島 茜(以下、松島)

今日はよろしくお願いします。Ciftの存在を知り、魅力的に感じると同時に、さまざまな問いが生まれました。お話を伺えることを楽しみにしていました。

 

一番の疑問は「他人同士だった人々が、どのようにして家族になっていくのか?」ということです。シェアハウスや部活動など、家族に似た関係性は世の中に多く存在します。しかし、そういった「家族みたい」な関係と、Ciftが目指す「家族」は、明らかに異なっていて、その違いはどこにあるのか、とても気になっています。伺いたいことはたくさんあるのですが、まずはCiftの仕組みやメンバー構成について簡単に教えてください。

石山 アンジュさん(以下、石山)

よろしくお願いします。Ciftは「意識でつながる拡張家族」というコンセプトのもと、2017年の5月に渋谷を拠点にスタートしました。設立当初のメンバーは38人でしたが、4年間で102人にまで増えました。昨年Cift京都を立ち上げ、今は渋谷・京都の2つの拠点で運営しています。

 

年齢構成は幅広く、下は1歳から上は60代まで。メンバーの職種は画家、弁護士、ミュージシャン、モデル、料理研究家、はりきゅう師、政治家、建築家など、さまざまです。

 

Cift以外にも生活拠点を持つ人が半数以上いて、それらの拠点も任意で「家族マップ」にまとめてメンバー内で共有しています。実はメンバーの中には、Ciftの拠点に住んでいない人もいます。102人のうち20人ぐらいは、渋谷・京都の拠点には住んでいません。

松島

それは面白いですね。編集部では「同じ家に住むこと」も家族を形づくる要素の一つとして挙げられていました。例えば、就職や進学を機に実家を離れた後も、それまで共に過ごしてきた家族のことを、変わらず「家族」として認識している感覚は、多くの人が共通で持っていると思います。拡張家族の場合も、「一緒に住んでいなくても家族」という認識を共有できるものなのでしょうか。

石山

それはまさに4年間の中で出てきた問いとして、メンバー内でも度々話し合ってきました。人それぞれ答えは違いますが、「共にくらさなくても家族でいられる」という意見のほうが多いですね。

 

Ciftがほかのシェアハウスやコミュニティと異なるのは、入居前の面談で「互いに“家族”になろうとすること」への合意がマストになっている点だと考えています。その前提を共有して、家族観のすり合わせを済ませているからこそ、「離れても家族でいられる」という意見が多くなるのかもしれません。

 

私も長くシェアハウス生活をしていますが、人間関係というのは通常、一緒にいる時間の積み重ねによって信頼が生まれ、絆が深まっていくものですよね。Ciftでの関係性はまったくその逆で、一番深いところから人間関係の構築を始めようという試みをしているんです。

会った瞬間から相手を家族と思うこと、すなわち「この人は愛すべき存在であり、絶対的に何があっても信頼すること」に合意して、関係をつくり始める。これはCiftにおける、人との距離感の取り方の社会実験だと思っています。

Ciftで食卓を囲んで団らんのひととき

Ciftは修行僧の集まり? 拡張家族における人間関係の深め方とは

松島

お話を伺ってみて、昨日まで他人だった人といきなり家族になることを想像したとき、どこまでその人に心を開けるだろうかと、少し不安に感じました。面談では、ほかにどのようなことを互いに確認しているのでしょうか。

石山

Ciftの面談で確認するのは、肩書などの情報ではありません。大事にしているキーワードは、「対話」と「自己変容」です。

 

一人ひとりの意識の変容によって、自分事として捉えられる他者の人数を増やしていく。それが家族の範囲を拡張していくことだと考えています。そのためには、対話を重ねることが欠かせません。面談では、「対話をいとわず、他者との交わりの中で自分自身が変わっていくこと」への意思があるかどうかを確認しています。つまり、Ciftというコミュニティは「他人に心を開く意思を皆が持っていること」を前提に成り立っているんです。

ただ、それでも心を開ける度合いについては、人それぞれです。私はオープンな性格で、人にgiveすることは好きですが、自分が助けてほしいときには、それをあまり言えないタイプでもあります。人によって違いはあっても、互いに心を開き、相手の思いや悩みを自分事として捉えることに挑み続ける。Ciftの生活は、いわば、他者とよりよい関係を築くための「修行」だと考えています。

松島

「修行」という表現、なるほどと感じました。よく考えてみれば、血がつながった者同士でも、最初から分かり合えるわけではありませんよね。他者と対話によって理解を深めながら、自分が変わることに取り組む過程は、確かに「修行」であると言えそうです。

 

大人数で共に暮らしていると、さまざまな場面で生活スタイルの違いが出てきますよね。拡張家族として生活していて、何かトラブルなどはないのでしょうか。

石山

もちろん、問題がないわけではありません。共用部やキッチンの使い方、子育てなどに関しては、人によって価値観が大きく違います。問題が生じたら、対話をしながらやり方を少しずつ軌道修正しています。

 

ひとつ、例を挙げたいと思います。以前、キッチンの掃除について話し合ったことがありました。すごく清潔好きな人と気にしない人がいるとき、掃除を担当する人によって清潔さが異なると、不満が生まれます。この場合、きれいな状態が維持できれば、どちらにとっても満足ですよね。そこで月に数回、掃除代行のサービスをCiftの共有の家族バンクから費用を出して頼むようになりました。

松島

問題が生じても、その都度対話をして落とし所を見つけるから、大きな衝突にはならないんですね。

石山

私たちは基本的に、対話して相手を受け入れようとする修行僧の集まりなので、ぶつかり合うことは少ないと感じています。相手を信頼しているので、ルールなどもガチガチに決めているわけではなく、一人ひとりの裁量に委ねられている部分も大きいです。

例えば、「どんぶりバンク」という仕組みがあるのですが、これは完全なる性善説に基づくものなんです。誰かが料理をしてくれたときや物を貸してくれたとき、そのお礼のお金を相手に渡すのではなく、どんぶりバンクに入れていく、というシステムです。

 

入れない人もいるかもしれないし、1万円入れる人もいるかもしれない。それは分かりません。皆が気持ちよくいられるようにするために、このような仕組みを用いて互いの期待値を調整しています。

Ciftのリビングにそっと置かれた「どんぶりバンク」
松島

ルールをはっきり定めないという点は、Cift全体に共通する考えのように思います。「規則で固めるのではなく自然な形で一緒にいる」ということが価値観のベースにあるんでしょうか。

石山

そうですね。そもそも家族は会社ではありません。だからCiftでは、平等性やコミットメントを求めていないし、求めたくないと考えています。例えば、サザエさんの家族を想像してみてください。タラちゃんは何か役割を担っているわけではないけれど、あのかわいさや愛嬌、そして存在すること自体で、家族の雰囲気を明るくしてくれていますよね。家族において、メンバーそれぞれの貢献度を同じ尺度で測るということはできないと思うんです。

 

それでも、コミュニティを維持するために必要な役割は最低限決め、特定のコミットメントに対して組合費から謝礼を渡すことはあります。それも報酬ではなくて謝礼であって、「家族だから要らない」と受け取らない人もいるんですよ。

松島

確かに、コミットメントや平等を求めたとしたら、それに応えられない人は家族でいられないことになりますね。これまで意識をしていませんでしたが、家族のあり方を考える上で、そこは重要な要素かもしれません。

拡張家族は「コミュニティ」なのか、「概念」なのか

松島

メンバーの中にはやがてCiftから離れていく方もいると思います。そういった人たちとの関係性は、その後どのようになっていくのでしょうか。

石山

理由はそれぞれですが、4年続けている中で、離れていった人も数人います。ただ、「やめる」という意味合いも普通とは少し違うかもしれません。Ciftにおけるつながりは2種類あると考えています。一つはCiftという共同体とのつながり。これは所属と言い換えてもいいかもしれません。もう一つはその中にいる個人同士のつながりです。

 

やめた人は、「Ciftという共同体から抜ける」という意味合いでの「やめる」がほとんどでした。一方で、その人とCiftで出会った人々との個々の関係は、その後も拡張家族として続いていくのだと思います。

松島

確かに、共同体から離脱したとして、そこでつながった人との関係が終わるというわけではないですよね。

石山

そうなんです。拡張家族には「コミュニティ」と「概念」という二つの側面がある。これは私が考える、次なるCiftの問いです。「コミュニティ」としての側面とは、「Ciftのメンバーである」という、共同体の膜の中で住居や口座などを共有する状態を指します。

 

一方で拡張家族は「概念」でもあります。Ciftのメンバーに入っていなくても、拡張家族の概念は理解できる。それを皆さんが実践し、周囲の人の喜びや悲しみを自分事として捉えるようになれば、拡張家族の範囲はより速く、より遠くへと拡がっていきます。

松島

拡張家族を実践する場はCiftという「コミュニティ」だけれど、拡張家族の「概念」そのものは無限に拡げられる、ということですね。

石山

そうです。私たちの目標は「拡張家族を世界の端から端まで拡大していくこと」です。それはつまり、自分以外の全ての人に対して、生じた出来事を自分事として考えられる状態を表します。他人と対話し、自分が変わることに取り組む人々のつながりが拡がっていったら、世界平和の実現にもつながっていくんじゃないかなと、私たちは本気で考えているんです。

松島

拡張家族を拡げていけばいくほど、家族の人数は増えていくと思います。Ciftのように構成人数が増えていくと、少人数の家族と比べて人間関係のつながりは緩やかになるものでしょうか。Ciftメンバーの関係性の強さは、一般的に想起される家族と比べて違いがあると思いますか。

石山

そもそも、家族における関係性の強さや関係のあり方には、“普通”がないということを強く実感しています。私の両親は離婚をしていますが、かなり仲が良いんです。それが私の家族の普通。でも、Ciftのメンバー102人が育ってきた家族の話を聞くと、中学で家を出てから会っていなかったり、本音が言えない関係であったりとさまざまです。

 

そうなると当然、家族に期待する関係性や距離感も人によって違います。私から見たら友達みたいな緩やかな関係であっても、その人にとっては、それが“普通”の家族の距離感だったりする。ですから、Ciftがコミュニティとしてどのぐらいの距離感を目指すかというのは難しいテーマなんですよね。

 

そこで何かしら基準となる“普通”を決めた瞬間に、その枠からはみ出して傷つく誰かが、きっと出てきてしまう。だから、ルールも“普通”も、はっきりとは決めない。決めなくても、誰かが困って助けを求めているときには、ほかの誰かが自然に寄り添える、そういうコミュニティでありたいと思っています。

松島

「普通の家族」というバイアスが誰かを傷つけてしまうことは、学校などの身近な場所でも日常的に起こっていますよね。皆が家族の多様性を当たり前に認識している世の中になってほしいなと、お話をお聞きしながらあらためて思いました。

「面倒くささ」にこそ幸せがある——今の社会に必要なこと

松島

これからも、時代の流れを受けながら、家族のあり方は少しずつ変わっていくと思います。私たち一人ひとりは、家族についての価値観をどのように変化させていくべきでしょうか。

石山

繰り返しになりますが、新しい家族の形を定義することは、基本的にすべきでないと考えています。なぜなら、「次の時代の価値観はこうだよね」「これが若い世代が求める家族の価値観だよね」と形をつくった瞬間に分断が生まれ、取り残される人が出てしまうからです。

画一的に制度をつくり、大きな網をかけて標準を守っていくのが、これまでの制度設計や法律のあり方でした。夫婦同姓などはその典型だと思います。

 

定義することをやめる、つまり「“スタンダードがないこと”をスタンダードにする」。私が代表理事を務めるPMI(Public Meets Innovation)のミレニアル政策ペーパーでも、これを提言しています。

石山さんが代表理事を務めるPublic Meets Innovation ミレニアル政策ペーパーのうちの1ページ

Public Meets Innovation ミレニアル政策ペーパー

https://pmi.or.jp/thinktank/millennial_paper/family/slide.pdf

多様な個人が、いかにして自分のくらしやすい環境をカスタマイズしていけるか。そして、そこに制度がどう寄り添えるかが、これから求められていくと思います。

 

一方で、正解がない社会を選ぶということには、より対話をする責任が伴います。なぜなら、それは社会がシステムに依存しないことを意味するからです。

松島

まさにCiftのお話と重なりますね。あらかじめ決めたシステムに従うのではなく、メンバー同士でその都度対話をする。ただ自由で楽な世界ではないということは、「修行」という表現からも伝わりました。

石山

そうなんです。社会においても同様に、一人ひとりがシステムに依存せず、修行するようなつもりで自己の変容や他者との対話に取り組む。そんなリテラシーを、これから皆で高めていく必要があると思います。

 

しかし、自己責任社会を助長したいわけではまったくありません。Ciftにおいても精神的な自立や修行は求めていますが、自己変容したいと思っていても、しんどいことはたくさんあるんですよね。大変だからこそ、お互いの成長や変化を見守ったり支え合ったりする関係を、網の目のように広げていく必要がある。それがCiftにおいても、社会においても重要だと考えています。

松島

それを実践できる場が、今の社会には本当に少ないように思います。地域のつながりも昔より薄れてきている中で、心を開いて多くの人と対話するというCiftの環境は、とても貴重ですね。

石山

本当にそう思います。近代化によって分業と個別化が進み、人と生活を共同する必然性がほとんどなくなりました。昔みたいに井戸水を共有することもなければ、子どもを皆で助け合って育てなくても、お金さえあればベビーシッターに預けられる時代になっています。

私たちは今や、誰とも話さなくてもくらすことができます。特に都会では、面倒な人間関係を維持する必要性がほとんどありません。私たちが便利な生活を手に入れた反面、どこかむなしさを感じているのは、くらしにおける面倒くささを、ある意味排除して生きられるようになったからだと思うんです。

 

そういった「人間関係のめんどくささ」を取り戻すことが、今の時代において個人をアップデートするためには必要なのではないか。これは私の持論ですが、Ciftが取り組む社会実験にはそんな思いを込めています。

松島

一人で生きていけるラクさ、その裏にどこかむなしさがあることは、私自身も共感します。一方で、人間はどうしても自分と意見が異なる相手を遠ざけてしまうものではないでしょうか。どうすれば、他者を理解する修行の先にある幸せや充実感を、多くの人に理解してもらえると思いますか。

石山

そうですね……、価値観やイデオロギーを飛び越えられるもの、一言で言えば「愛」や「良心」のようなものが人類には備わっていると、私は思うんです。例えば、目の前で赤ちゃんが泣いていたら、対立している者同士でも一緒になって助けてしまうことって、きっとありますよね。

 

だから、「拡張家族なんて理解できない」「対話なんて面倒なだけ」「人と関わり合う修行なんてしたくない」と言う人がいたら、「取りあえずCiftに来て、一緒にご飯食べてみようよ」と誘いたいですね。実際にそれを実践しながら、幸せそうに過ごしているメンバーを見たら、また別の景色に見えるかもしれない。いろいろな言葉で説明するより、それが解決策だったりするんです。

相手の存在を感じる幸せが、わたしたちを家族にする

松島

Ciftのコンセプトにもあるように、言葉を超えたつながりの意識が家族を形づくっていくのだと感じました。Ciftで過ごす中で、石山さんご自身がメンバーとのつながりや幸せを一番強く感じるのは、どんなときでしょうか。

石山

何があっても否定せずに受け入れてくれる、何かあれば助けてくれる——そう思える存在がいることを感じる瞬間です。普段それほど会わないけど、絶対に自分のことを見守っていてくれるおばあちゃんみたいな存在が、少なくとも全国に100人はいる。それはなんだか、心の中にいろいろな人が住んでいるような気持ちです。

 

共にくらし、刺激し合うことだけではない「存在を感じる幸せ」というものが、家族の本質的な良さなのではないかと、私は感じています。

松島

素敵ですね。会えなくても、頻繁に話さなくても、存在を感じることが家族の証と信じられたら心強いです。わたしもパンデミックをきっかけに一人で過ごす時間が増え、家族という存在について頻繁に考えるようになりました。自分にとって周囲の人とのつながりが重要であることを、これまでにないほど強く実感した気がします。

石山

人間というのは個々に切り離された存在ではなく、もとからつながっている。それに気づくことができれば、孤独を感じる人は減っていくと思います。

松島

そうですね。石山さんのアドバイスの通り、まずは自分自身を信じて周囲の人と向き合っていきたいと思います。本日は素敵なお話をありがとうございました。

Photo by 加藤 甫 および提供写真

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