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その買いもの、思考停止してない?
倫理的ではない私たちのための「エシカル消費」の手引き

Ethical Consumption

その買いもの、思考停止してない?
倫理的ではない私たちのための「エシカル消費」の手引き

人や自然環境に配慮した買い物をする「エシカル消費」。良いことだとは分かるし取り入れたいけれど、お金がかかりそうなイメージが先行していて、なかなか自分ごととして考えにくい……そんな理想と現実のギャップに思い悩む人も多いのではないでしょうか。どうしたら身近な範囲から倫理的な消費を実践できるのか、消費者の意思決定と倫理の関係について研究されている福川恭子さんに聞きました。

消費者倫理・行動論学者
福川 恭子

一橋大学経営管理研究科経営管理専攻教授、同大学商学部教授。成城大学経済学部卒業後、英国サルフォード大学マネジメントスクールでマーケティングを学び修士課程を修了。その後、英国ノッティンガム大学ビジネススクールに進学し、2002年に博士課程を修了。2003年から2019年まで、英国ブラッドフォード大学マネジメントスクールで専任講師・准教授を務める。2019年より現職に就き、国際マーケティングやビジネスエシックスなどを教える。主な研究テーマは、消費者意思決定と倫理、企業の社会的責任など。

q&d編集部
松島 茜

愛知県出身。大学在学中にフリーペーパー制作とドイツ留学を経験。名古屋大学文学部を卒業後パナソニックに入社し、様々なイベント、セミナー企画に携わる。子どもの頃から食分野に興味あり。週末にはパンを焼く。

目次

何が「エシカル」で、何が「エシカルじゃない」の?

q&d 第10回目の特集は「これからのくらしを考える11の視点」のうちの「Ethical Consumption 納得して意味のある消費をしたい」がメインテーマです。

Ethical Consumption――日本語では「エシカル消費」と呼ばれています。商品を作るのに関わる人たちや、作る過程で影響を与え得る地球環境に対して、しっかりと配慮している商品を選ぶことが「エシカル消費=倫理的な消費」であるということは、おおよそ知られているのではないかと思います。

 

しかし、「エシカル消費」を具体的に自分のくらしの中に落とし込むとしたら、どうでしょうか。目の前の商品がエシカルか、そうじゃないかを判断する基準は分かりますか? そもそも、なぜエシカル消費が大切なのでしょうか?

 

言葉だけが一人歩きして広がっているようにも思えるエシカル消費。それを自分たちの半径5mのくらしに結びつけて理解したい……そんな思いを胸に、消費と倫理の関係について研究されている一橋大学教授の福川恭子さんにお話をお伺いました。

「そもそも私たちは倫理的じゃない」と気づくことが大事

松島 茜(以下、松島)

福川さんはエシカル消費、正確に言うと「倫理的な消費」について研究されていらっしゃいますよね。この言葉自体は最近よく耳にするのですが、実際どう自分の生活に取り込んだらいいのか分からず、福川さんにお話をお聞きしたいと思いました。

福川 恭子さん(以下、福川)

エシカル消費の研究者というと、その道を極めている人のように思われやすいのですが……最初に断っておきたいのは、私の研究は「みんな、そんなにエシカルな人間じゃないよね?」という問いから始まっています。

松島

えっ!それはどういうことでしょう?

福川

私自身「環境的、人道的にはこういう選択をするべきだけど、なかなかできないな」と感じることが、昔からたくさんありました。だからこそ「消費者は完璧な人間ではない、いいことをしようと思ってもできない」という認識から研究をスタートしたいと思ったんです。

松島

専門家である福川先生も完璧じゃないと聞くと、少し安心します(笑)。

福川

私の元々の研究テーマは「非倫理的な消費をする人の動機」で、法的に良くないとされている万引きや保険金詐欺、海賊版の販売などを研究の対象にしていました。「なぜ悪いとかっていることを、人はやってしまうのか?」からスタートして、そこから「なぜ良いとかっていることでも、人はやらないのか?」という問いについても考えるようになったのです

松島

いま、非倫理的な消費の事例をいくつか挙げていましたが、そもそも「倫理的である/倫理的ではない」とは、どういう基準で判断されるのでしょうか。

福川

元も子もないようなことを言ってしまいますが、「倫理的な行動とはこういうものです」とシンプルに言える解はないんです。そのことについて詳しくお話しする前に……松島さん、「倫理」と「道徳」の違いって分かりますか?

松島

え、えっと……。

福川

急に言われても困りますよね(笑)。一見似ていますが、厳密には異なります。「倫理」は、ある社会集団内で共有されていて、大多数の合意がとれているルールのことです。一方、「道徳」は個人の善悪の価値観です。もちろん道徳は、倫理の影響を受ける面もありますが、必ずしも倫理と一致するものではありません。

松島

なるほど、倫理は社会のルールで、道徳は個人のルールということですね。

福川

はい。倫理観は「どういう地域で育ったか、どういうコミュニティに属しているか」によって大きく異なることがありますし、道徳観はさらに「どういう経験をしたか、どんな価値観を持つ他者と出会ってきたか」によって個々で変化し得るものです。つまり、人間の倫理観や道徳観って、とても流動的なのです。それが面白いなと思うからこそ、私はこの研究を続けています。

「倫理的に正しい消費」の定義は不可能?

松島

倫理観や道徳観の流動性……なんとなく分かるようで、まだピンと来ていないかもしれません。

福川

そしたら、ちょっと想像してみてください。松島さんは、巨大チェーンのスーパーと近所にある馴染みの小さい商店とで、商品を壊してしまったとします。どちらのほうが罪悪感が大きいでしょうか?

松島

たぶん、馴染みの店のほうだと思います。

福川

そうですよね。同じ行為であっても、状況や関係性によって「悪い」と感じる感覚は異なるわけです。もっと言えば「Aという国でやったら犯罪」だけど、「Bという国でやっても犯罪にはならない」なんてこともあったりする。

 

つまり「この行動は(どんな状況下でも間違いなく)エシカルです」と定義するのって、厳密には不可能なんですよね。だからこそ、私の論文では「非倫理的な行動」と断定的な表現は使わず、“倫理的な問い方のできる行動”という意味合いを含んだ「倫理的に問題になりうる行動(Ethically Questionable Behavior)」と呼んでいました。

松島

なるほど。よく考えると違いますね。

福川

もうひとつ、流動性の事例を挙げましょう。今の時代、ほぼ誰もが持っているスマホ。これは「非倫理的消費」の代表格なのです。スマホに使われているレアメタル(希少鉱物)をめぐって、その産地で紛争が起きているからです。

 

この事実自体を知らない人も多いと思いますが、知ったとしても多くの人はスマホを手放せないですよね。「販売している企業は罰せられていないし、正規に売られているものを買ったのだから、私は悪くない」と、自身の行動を正当化する人も出てくるでしょう。

松島

たしかに、いくら非倫理的な物だと言われても「スマホを持たない」という選択をするのは、なかなか難しいです。

福川

そんなふうに人間は「良いことだ」と分かっていてもやらなかったり、逆に「やらないほうがいい」と分かっているのにやってしまったりすることが、たくさんあるのですよね。

松島

知らず知らずに、たくさんの「倫理的ではない行為」を良しとしながら生きていると……。

福川

ただ、それは個人としては合理的な判断でもあります人は日常の中で大量の決断をする必要があり、そのすべてで倫理的に完璧な判断をしようとしたら、きっと疲れ果ててしまうはずですから。

松島

倫理的に正しいものしか許されないのは窮屈だし、きれいごとばかりになって本音で生きられなくなるのも違う気がしますね。

福川

そうですよね。何もからないまま買っているわけではなくて、知った上で自分でよく考えて納得した購買であれば、それが他の人にとっては「社会的に良くない」と感じるものであっても、その人にとっては「良い購買」と言えると思います。

 

だからまずは「私たちは普段から“倫理的ではない消費”をしているんだ」と自覚して、その上で「それは自分にとって、本当に納得できる判断なのか?」と問い直していくことが、世の中で言われているような「エシカル消費」の実現につながるでしょう。

「信頼」と「思考停止」は隣り合わせ

松島

先ほど「倫理は社会のルール」という話がありましたが、そうであれば日本と海外におけるエシカル消費の違いも気になります。エシカル消費は日本だけでなく、世界でも注目を集めているのでしょうか?

福川

欧米では日本よりずっと前から広がって浸透していますね。ただ、日本とは感覚が違うと思います。欧米におけるエシカル消費は「消費者が政治的な声を上げる行動」のひとつとして捉えられています。

松島

政治的な行動、ですか。それは、気候変動の問題などに対して市民の人たちがデモをしているのと近い感じでしょうか?

福川

まさにそうです。自分たちで情報を集めて、良し悪しを判断して、おかしいと思ったら声を上げる……日本におけるエシカル消費は、そういったアクティビティとして認識されていないですよね。

松島

そうですね。大半の人は「SDGs」と同じような印象で、目指すべき在り方を示す標語のように捉えている気がします。

福川

日本はそもそも政治的活動に慣れていません。他国と比較してみると、個人が声を上げなくても経済が順調に発展して、安心安全にくらせる社会が成り立っていった国ではありますから。良くないと思うことがあったとしても、どうやって社会に向けて声を上げて行動を起こせばいいか分からないわけです。

松島

企業や政治家という代理者がうまく働いてきて、「自分で行動して社会を良くする」という必要性が薄かったからこそ、その実践が足りていないと。

福川

その背景には「政府や企業に任せておけば彼らのほうが詳しいし、間違えをおかすわけがない」という感覚が根強くあると思います。それは良く言えば信頼ですが、悪く言えば思考停止、責任転嫁でもあります

松島

なるほど……。

福川

まず、そういう構造を覆していくには、消費者一人ひとりが「自分の意見には意味も価値もある」と認識することが必要だと思います。欧米では、最終的な方向性に影響しなかったとしても「自分の意見を言うこと自体が大切だ」と小さい頃から教育されています。だからこそ、声を上げる人たちが多いのだと思います。

松島

たしかに日本では「私がこれを言ったところで何も変わらないだろう」「言わずにやりすごしたほうがいい」と思う人が多そうです。

福川

「自分の意見に意味がある」と感じられていないと、自分の購買活動が社会に対して影響を及ぼすとは考えられません。「自分ひとりが何かを言っても、どうせ変わらない」と思ってしまう。

 

たとえ周りの人たちの意見や基準と違ったとしても「自分はこれがいいと思うから、こうします」と選択して主張する――それが日常で自然にできるような自信を持つことが、日本でエシカル消費の気運を育む第一歩なのではないでしょうか。そして、消費者の一人ひとりが自信を持つための一番の近道は、「選択の根拠になるような情報を自分で探して知っていくこと」だろうと、私は考えています。

「エシカル消費」を私に浸透させる、3つのポイント

松島

いま、エシカル消費を育むための一歩として「自分で探して知ること」というお話がありましたが、これから私たちがエシカル消費と向き合っていく上で、ほかに大切にするべきことはありますか?

福川

基本的に私たちの倫理観が機能するのは、「私」と「誰か」の関係性の中です。「私」の買い物によって他者が傷ついていると分かれば、倫理観が働きます。でも、グローバル化した今の世界においては、目の前の商品がどのようなプロセスを経て作られたか分かりにくくて、誰かが犠牲になっていたとしても見えなくなっていることが多いのです

松島

たしかに、見えないものを意識するのは難しいですね。

福川

それを踏まえて、買い物における倫理観を育むためのポイントは、3つあるのではないかなと思っています。

 

1つ目は「聞くこと」です。商品や企業のアクションに対して「これって何なんだろう、どういうことなんだろう?」と疑問に思ったら、些細なことであっても聞く勇気を持つ。企業側も「消費者から聞かれたら答えなければ」と意識するはずで、聞かれなければ何も生まれません。だから「企業に言及する機会を作ってあげる」と考えればいいと思います。

松島

ホームページでの問い合わせやSNSなど、聞こうとすれば聞けるチャネルは今の時代しっかりありますものね。それを有効に使っていこうと。

福川

2つ目は「議論する力をつける」。これは、自分の意見を言うだけでなく、相手の意見も聞いて相手の立場を理解する力も含みます。相手の意見を自分の中に一度取り入れて、そこからまた新たな主張を作っていくというか……お互いに「相手の立場になって理解しよう」というマナーを持っていたら、建設的な意見交換ができるようになるはずです。

松島

なるほど。そういう議論を重ねるほどに、他者のことを想像するエンパシーの範囲や種類が増えて、さらに議論が上手になっていく気がします。

福川

3つ目は「少しずつ拡張していくこと」です。いきなり身の回りのすべての買い物で100%こだわろうとすると、自分を犠牲にすることになって長続きしません。たとえばファッションであったり、家電であったり、どこか自分が気になるプロダクトカテゴリーから、その商品がどのように作られているかとか、エネルギー効率がいいものはどれだろうとか、自分で調べて考えてみる。

 

何かひとつの物やカテゴリーで調べ抜けたら、受動的ではなく自分で決めることへの変化の一歩を踏み出せていると思います。そして今度は他のカテゴリーにも応用してみる。そうやって自分の判断軸を蓄積していけるといいですね。

松島

半径5mからスタートして、少しずつ広げていく感じですね。

福川

一個人がすべてのものにこだわろうとするのは難しいですが、一人ひとりが「ここはちょっと倫理的にこだわってみよう」と思えるカテゴリーを要所要所で持って、できるところから広げていけば、結果的に社会全体にエシカル消費が広がると思いますよ。

「リーズナブル」は価格の話だけじゃない。本当に“納得”のできる買い物って何だろう?

福川さんの話を受けて、自分を犠牲にせずに倫理的な消費を続けていくには「納得感」が大事なキーワードになると感じました。

 

ただ、私たちが日頃の買い物の納得感において優先する条件はどうしても「価格」に偏りがちです。「合理的な、道理に合った、正当な」を意味する「リーズナブル(Reasonable)」が、日本では価格の手頃さを指すことにも、その価値観が表れていると言えるでしょう。しかし、実際は「安さ」以外から得られる納得感にこそ、自分が大切にしたい意思や考え方がれてくるはずです。

 

もうひとつ、福川さんの話から感じたのは「エシカル消費は、社会のことをより深く知って、多面的に物事を見る行為なのだ」ということです。そう捉えると、エシカル消費は「誰かのため(利他的な行為)」なだけではなくて、自分にとっての発見や学びにも繋がっていくものだと言えます。また、何も意識せずに買い物をしたときの一時的な満足感ではない、心に残る「消費」が生まれ、もっと深くて長く続く自分自身への「還元」があるのではないかとも思います。

 

「半径5mのくらしの中で、どうエシカル消費を実践していけばいいか?」という問いから始まった今回のダイアローグ。福川さんのお話にもあったように、いきなりすべての領域でやろうと無理をせずに、自分の興味のある領域や趣味の世界などから取り組んでみることを大切にしていきたいと思います。

 

皆さんにとっての「納得のいく買い物」って、どんなものでしょうか? 本記事の感想と共に、ぜひ「#欲しいとエシカルのあいだ」を添えて投稿してみてください。

【特集内のほかの記事は以下からお読みいただけます】

『q&d』編集部が問いと対話をより深めていくq&dラヂオでは、消費者の意思決定と倫理の関係について研究されている福川恭子さんとの対話を振り返りながら、「エシカルであること」とは一体どういうことなのか、改めて考えました。

Photo by 加藤 甫

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